“解き放て今 僕らが起こした火を”
“舞い上げ走れば 明日が変わるはず”
目次
[①アルトマヨの森栄養改善ワークショップ]
[②リオハのカーニバル]
[③チクラヨ日本文化祭]
[④ペルー沿岸北部旅]
[⑤まとめ]
1月~3月は活動が忙しく少し更新が空いてしまったのですが、この3か月間のことを少し綴っていこうと思います。この3カ月はいろんな機関や人とやり取りをすることで、自分だけでは実現できないことも可能にすることができることを再認識し、さらには人や機関の間に入って調整することの醍醐味や自身の適正について考えた3か月でした。改めて自身について見つめなおし、将来のキャリア選択においても重要な意味を持つ機関だったと思います。自分ではできないことを認識しつつも、自分の特性の活かし方次第では、自分が目標とするものを実現できるという自信を得ることもできました。少しずつ、この3カ月のことをかみ砕きながら書いていきたいと思います。
①アルトマヨの森栄養改善ワークショップ
まずは1月には、同期の栄養士隊員とのコラボ活動ということで、リマから任地のリオハに招き一緒に「アルトマヨの森栄養改善ワークショップ」を実施しました。
配属先だけではなく、JICAペルー事務所や地域で活動するNGO、地域の行政機関を巻き込むことで、規模の大きなイベントを開催できました。規模が最も大事なわけではもちろんありませんし関係者が多くなるほど調整は難しくなりますが、それでも規模の大きなイベントになることで、今回だと4か所での開催で、6集落13団体165名が参加するイベントとなりました。
私は”林業・森林保全”分野においてこの”アルトマヨの森保護区”に派遣されており、”森林保全”の実現にはただ環境を守ることにのみ主眼を置くのではなく、周辺の住民と共に守る体制を作ることが必要と考えています。そこで保護区周辺のナシエンテ・デル・リオ・ネグロ集落では、植林計画を目的とした森林モニタリングや環境啓発活動だけでなく、地域の女性のエンパワメントなどの活動をしていました。女性のエンパワメントの活動の中で、いろんな方から「この地域は貧血に悩まされる子どもが多い」と聞きました。理由としてはいろんな要因が挙げられましたが、集約すると①鉄分摂取に関する知識の不十分さ(鉄分と特にビタミンCの欠如)②交通アクセスの問題で町に買い物に行ける回数に制限がある(お肉やお魚を買いに行ける頻度に制限がある)③家長制度(大人の男性が優先的にお肉や魚を食べるため、子どもたちが食べられる量に限りがある)、の3つによるものが大きいと考えられました。環境を一緒に守っていくためには、彼らの抱える問題を知り、可能な限り解決に向けたアプローチをしたいと考え、今回栄養士隊員と共にプロジェクトを企画しました。
予算面等でJICAぺルーにも協力を仰ぎ、この1月にようやくワークショップを実現することができました。同期隊員が「栄養教育」パートを、自分が「食生活の改善」パートを担当して、さらにグループワークやアクティビティを交えた参加型のワークショップを行うことで参加者の理解促進とワークショップ後の実生活への応用を図りました。ワークショップ終了後も、保護区の女性からは栄養の話を聞く機会も多く、またともに参加した同僚たちとは毎日のラジオ体操と食事のバランスについて話すことが増え、インパクトのある活動になったのではないかと自負しています。今回協力してくださったJICAや配属先、そして同期隊員には感謝しかありません。
②リオハのカーニバル
また、この3か月間任地のリオハはカーニバル一色でした。リオハのカーニバルはペルーのアマゾン地域で一番とも言われており、いつもは土日でも静かな町もこの3カ月ばかりは観光客も増え活気で溢れています。毎週日曜日、町に出て悪魔や踊り子が巡行している様子を撮影していると、町で唯一の日本人の私は目立つのでいろんな人に覚えられました。ちょっとしたプチ有名人になったことで、リオハの地元ローカル局からインタビューを受けることにもなってしまいました。
➡リオハローカル局インタビュー動画(日本語字幕付き)
また、リオハのカーニバルの特徴の一つは町中の人がきれいな水を掛け合うことです。ペルー国内のいろんな街でも水の掛け合いはされていますが、インク入りの水だったり、泥水だったりします。その点でリオハはきれいな水を掛け合うので服が汚れる心配もありません。リオハ町民も水がきれいからできることだと誇りに思っている人が多いそうです。そして、そのリオハに流れる込む水がうまれる場所こそが、私の活動する”アルトマヨの森”です。森林保全を目的とした派遣ではありますが、森林を守ることは水源とその水で生きる人々の生活や文化を守ることと同義です。改めて、自分がここにいる理由について考える機会ともなり、より一層リオハの人たちと文化が好きになりました。
③チクラヨ日本文化祭
そして3月30日には冒頭でも触れたように、ペルー沿岸北部の街チクラヨ市で”チクラヨ日本文化祭”を実施しました。去年9月には首都のリマにて実施しましたが、地方での開催の可能性を探っていたところ、新年入ってすぐの1月にチクラヨに旅行した際にチクラヨ日系人同志会と面談し、共催についてかなりポジティブだったこともあって、以来準備を進めていました。前回に引き続き取りまとめ(実行委員)のメンバーとして、企画から運営に携わりました。今回は実行委員のメンバーも4人となり、それぞれの適性などから役割分担するうちになし崩しにリーダーになっていました。各方面への根回し、隊員や各団体への協力の打診、方針の策定、管理業務など多岐にわたって色んな仕事をスペイン語の環境で経験できたことは財産ですし、参加者(来場者・隊員・日系人会)の満足度や想像していた2倍以上の来場者数(200人~300人くらい来場)は、自信につながりました。
チクラヨの皆さんに日本のことを知ってもらえたこと、そして何より楽しんでもらえたことが一番うれしいことですが、それ以外にも達成感を得ることができたイベントで、1月の栄養改善ワークショップと併せて、自身の協力隊生活において、ナンバー1・ナンバー2の印象に残るイベントになったと思います。裏側ではいろんなことを考えながら、運営していました。広報においては、ノウハウを持つNGOやチクラヨの大きな広報媒体と繋がって宣伝し、さらにチクラヨのローカル局と交渉し当日取材に来てもらうこともできました。チクラヨにおいてニュースでも流れたことで、来場者だけでなく来れなかったチクラヨ市民にも日本やJICA、日系人コミュニティのことを知ってもらえたと思います。JICAが税金を使って私たちを海外に送る理由の一つでもある「日本のプレゼンスの向上」にも少なからず貢献できたのではと自負しています。
➡チクラヨのローカル局ニュース”Best Cable Noticias”の動画
また次回のイベントはまたリマで開催する可能性が高いと考え、リマの日系コミュニティにも今回のチクラヨでのイベントを知ってもらい、次回の共催の可能性につなげたいと思い、日系の広報媒体にもコンタクトを取り、記事を掲載してもらいました。
➡日系のWEB新聞社"Nikkei Plus"の記事
④ペルー沿岸北部旅
今回チクラヨでのイベントの為にペルー沿岸北部に訪れた機会を利用して、チクラヨ周辺のいくつかの組織・団体も訪問させていただきました。まずは、チクラヨのあるランバイエケ州の北側のピウラ州へと赴き、ピウラ市内にてコーヒーの生産・加工を行う会社の工場と隣町のパイタ町にてコーヒーが輸出されるパイタ国際港と輸出通関業者を訪問・見学させてもらいました。任地ではコーヒーの生産・販売をする組合とも一緒に活動していますが、販路拡大に向けて一緒に施策を講じていく中で、組合から製品から離れたあとの二次加工の行程と輸出の行程を自分の目で見て、自分の口で生産国側のバリューチェーンを話せるようになりたいという想いから、組合とそのドナーのNGOと調整して訪問が実現しました。日本への販路拡大に向けて少し話が前進する兆しを見せるこのタイミングで、組合から手が離れたあとの行程を学ぶことができたのは非常にありがたいことでした。
翌日は他のピウラに来ていた隊員たちと共にピウラの日系人協会と面談させていただきました。リマの日系関連の配属先で活動する訓練同期の発案で、自分のつてをたどって会長さんと繋がり、面談を調整しました。ピウラの日系コミュニティや協会の歴史やピウラにおける日本のプレゼンスについてお話を伺いました。印象的だったのは、ピウラでは他のペルーの街に比べて移住した日系人が少なかったためコミュニティで学校を持っておらず世代が進みつれて混血が多くなり、また文化継承の機会もなかったため現在イベントをピウラで実施する際もリマの日系団体を呼んで踊りや歌を披露してもらっているとのことでした。ピウラ州にも現在複数名隊員が派遣されており、また今後も派遣計画がたっていること、北部隊員が増えていることなどから、コラボの可能性についても少し話題に上がりました。なかなか自分の任地からは離れているので、無責任なことも言えないし、自分が関われるかはわからないけど何かしら一緒に何かを実行して、コミュニティのさらなる発展の一端になれたらなと感じました。
その後チクラヨのあるランバイエケ州に移動し、翌日はリマでデザイン隊員として活動する方の配属先の地方支部を訪問させていただきました。これまで2回行って一度も入れなかったシパン王墓博物館の横に事務所があるということで、博物館も案内付きでようやく入ることができました。さらにはランバイエケ州内の3つの工房も見学させてもらい、任地で工芸品製作で収入を得ている女性自治組織との活動にも応用できそうな取組みなどの話を聞き勉強になりました。
また別日には訓練も派遣も同期の隊員の配属先である”ポマの森歴史保護区”にも訪問させてもらいました。同じSERNANP(国家自然保護区管理事務局)の管轄ではありますが、区分も生息する動植物も異なる保護区を見学させてもらうのは非常に興味深かったです。
またその帰り道には国立シカン博物館も訪問しました。日本政府やTBSが設立に関わっており、また協力隊員の派遣予定もあることから、事前に調整し職員の考古学者の方に案内していただきました。ポマの森で発掘されたシカン文化の遺物などを説明してもらうことで、さらにこの地域の文化について理解が深まりました。また、博物館の方にとっても、いろんな職種の協力隊員がいることを知ってもらえたようで双方にとって理解が深まる機会になったと思います。
博物館をあとにし、AllinllamというNGOが運営する障がいを持つ子ども向け無償クリニックも尋ねました。以前より、やり取りをしていたNGOで、同州内のチクラヨで30日にイベントをすることも周知し子どもたちが日本文化を楽しむことができないかを調整していたのですが、障がいの特性上難しい子どももいて実現しなかったため、逆に隊員がクリニックを訪れプレイベント的に交流会を行ってきました。一緒に散歩して、ラジオ体操をして、”しあわせならてをたたこう”を日本語で歌って踊って、おやつを食べて、とても貴重な時間を過ごしました。お別れの際は寂しそうにしている子どももいて、意義のある交流だったのではと思います。また、逆に自分自身も子どもたちから力を分けてもらったように感じました。
➡交流会の様子をJICAぺルー事務所のFacebookで寄稿させてもらいました。
⑤まとめ
年が明けてから非常に濃い毎日を過ごしているように思います。4月についてもかきたいことがたくさんあるのですが、長くなってしまうので次回触れることにします。
最後に少しだけ、タイトルについて触れて終わりにしたいと思います。
タイトルのフレーズは“MAN WITH A MISSION & milet”の“絆ノ奇跡”の歌詞の一説です。今回にチクラヨ日本文化祭で、バイオテクノロジー隊員と一緒に舞台で歌いました。
リオハに任地変更になって新しい配属先に着任して1年が経ちました。配属先でもある程度ポジショニングがうまくいっており、活動も100%ではないもののうまく進んでいっています。そんな中で自分の活動に少し余裕がある分、自分は“All Peru”という目線を持って活動したいなということでした。リオハでがむしゃらにやってきた1年でしたが、今では少し視野が広がり余裕が生まれています。もともとペルーの持続可能な発展に貢献したいという想いでここにきているので、自分の任地だけではなく他の隊員の任地やさらには他の地域のことも視野に入れて、できる限りの貢献をしたいなと考え始めています。この3カ月でうまれたこの火がきっと、明日のペルーを変えると信じて引き続き活動に取り組んでいこうと思います。
➡イベントの広報にも活用したJICAペルー隊員のインスタグラムのアカウント
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