"大丈夫ほら 七色の橋 涙を流しきると空にかかる"
12月19日にクスコを去り、リマでの首都退避が始まってから3か月が経過しました。任地で活動できない中で、文字を書き起こす気にもなれず、ズルズルと3ヶ月間更新もないまま迎えてしまいました。
任地を離れてのこの3か月、思うように活動ができずフラストレーションをためる毎日が続きました。
初めの方はクリスマスや新年のイベントごともあって、休暇気分で過ごすことができていましたが、徐々に「残された任期が空費されている感覚」「自分が果たすべき責任を果たせていない感覚」に苛まれていました。
本来、私は”林業・森林保全”の職種で派遣されているのに、森林のほとんどない首都で自分の専門性を活かした活動をすることは難しく、また任地から離れたリマでは、クスコで進めたいを考えていた活動を進めることもままなりませんでした。
初めは配属先であるSERNANP(el Servicio Nacional de Áreas Naturales Protegidas por el Estado)のリマ本部オフィスに顔を出していましたが、デスクワーク・事務作業がメインのオフィスで、スペイン語がまだまだ不十分なうえに、あくまで一時的な滞在でしかない私ができることは限りなく少なく、閉塞感を感じていました。
また並行して、出発自治体の愛知県豊川市や出身の兵庫県洲本市との交流事業も実施させていただきました。豊川市立中央図書館にて開催された企画展「友情は海を越えてー姉妹都市・友
好都市との交流ー」にてペルーでの活動の紹介や任地の写真と動画の展示をしていただき、また、豊川市立小坂井西小学校と千両小学校、そして洲本市立加茂小学校では学校の異文化理解の一環としてペルーの紹介をするオンライン交流をさせていただきました。
そんな中でも、フィールドに出て自分の専門性を活かせる場所で一時的であっても活動をしたいという想いから、自分自身で一時的な活動先を探し、2月中旬からはリマ市内のサン・ミゲル区にあるラス・レジェンダス公園(el Parque de Las Leyendas)内にある植物園にて活動を始めました。
テンポラルな活動となるため、ここでの事前のインプットはほぼ無しで、自分がすべきことを集中的に行っていました。
この植物園には、以前より日本の手法”宮脇方式”による植樹を行いたいというニーズがあり、自分自身も”宮脇方式"をペルーで実現し、広げることができればペルーでの迅速な生態系修復に貢献できるのでは、という想いもあったので、”宮脇方式”のペルーでの先行事例を植物園で実施するためのプロジェクトマネジメント業務に取り組みました。
植物園は研究機関としての側面もあるので、取り組みに対しては前のめりですが、ペルーで先行事例が無いことや、準備に時間とお金がかかってしまうこと、植栽樹種の選定と苗の確保が難しいこと等、課題は山積しています。
私は一時的にしかここにいないので、きっとこの植栽が実際に行われるタイミングでは、リマにいないと思います。しかし、自分がいる間に具体的な計画を立て、スモールスケールでも試験的に植栽を行えたらと思い、活動を進めました。
また任地としてクスコに戻れないということが2月初めに伝えられ、やはりクスコでやり残したことやクスコで自分を待ってくれていたホストファミリーや同僚たちのことを思うと、悔しい気持ちやら残念な気持ちやらで、なかなか前向きな気持ちになれず、困難な時間を過ごしました。
JICAからホストファミリーに住居引き上げの連絡を入れた際には、ホストファミリーの5歳の娘さんが”Quiero a Taka, le extraño(Takaのことが好き、会えなくて寂しい)"と言っていたそうです。言葉の違う異国の地で、私を本当の家族の一員のように受け入れてくれて、困っているときやつらいとき優しく声をかけてサポートしてくれたホストファミリーとのお別れが早く来てしまったことを悲しく思うとともに、この悲しみを共有できる相手がここペルーでもできたということは、私にとって一生の宝物になると思います。少し情勢が落ち着いてまたクスコに遊びに行けるようになったときに、笑顔で自信に満ちた表情で彼らに会うためにも、ペルーでできることに精一杯取り組んでいかなくてはならないと改めで強く決意しました。
今回の情勢悪化を受けた首都退避では、クスコから連絡をくれる同僚やホストファミリー、リマでできた友人、植物園の同僚、協力隊の仲間からの励ましがものすごく力になったように思います。
リマでは日系人の友人や他の協力隊員たちと、買い物や食事、スポーツをしに出掛け、つらい期間の中でも楽しいひと時を過ごさせてもらいました。
大きな日系人コミュニティのあるリマでは、日系人の集まりも多く、自分自身の遠いルーツでもある岐阜の県人会のソフトボールチームに参加させてもらうという貴重な経験もしました。
リマで自分がつらい時に支えてくれたみんなには感謝しかありません。
そして今ようやく、止まっていた時計の針がまた進み始めようとしています。
クスコには任地として戻れなくなってしまいましたが、先日3月17日にアマゾンの湿潤林地帯のSan Martín州のRiojaという街に居を移し、Alto Mayo保護林という自然保護区に配属される運びとなりました。ここでは、主に植林・育苗の技術協力と地域住民のアグロフォレストリーによる経済活動の支援を行っていく予定です。
残り1年4ヶ月の任期を残しての任地変更です。ようやく地方で活動ができることは嬉しいけど、やっぱりクスコが恋しいし、残された任期を思うと焦りもあります。でも、まだまだペルーでやり残したこと沢山あるし何よりこの国が好きだから、この国のために出来る限りの貢献をしたいと強く思っています。
"大丈夫だよ 見上げればもう
大丈夫ほら 七色の橋 涙を流しきると空にかかる"
Aqua Timezの「虹」という曲の一説です。
コロナ禍の2年半を経て、待ち望んだマチュピチュへ配属されたのが8ヶ月前。この8ヶ月かけて、慣れないスペイン語を駆使しながら人間関係を構築し、これからしたいことが明確になって来たタイミングでの任地変更。
悔しくないわけがありません。でもこの悔しい気持ち、絶対に忘れません。この悔しさ一滴も溢すことなく、新任地での活動に鋭意取り組んでいきたいと思います。
みんなは「頑張った」って言ってくれるけど、そんな過程よりも結果が欲しかった。思い出もすごく大事だけど、思い出作りのためにペルーに来たわけではありません。
今日はこの悔しさで裾を濡らしても、明日からはここリオハで一歩一歩着実に前に進んでいきます。
だから、さあ行こう。新任地での新しい毎日へ。
またね、クスコの親愛なる友人よ。
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