マチュ・ピチュ-アルトマヨの森奮闘記

青年海外協力隊2022年7次隊として、林業・森林保全分野でペルーに派遣されました。クスコ州のマチュピチュ歴史保護区で森林保全活動をしていましたが、情勢悪化に伴いサン・マルティン州のアルトマヨの森保護区に任地変更となりました。自分が将来過去を振り返るための備忘録も兼ねて、日々の活動をボチボチ綴っていこうと思ってます。時々暑苦しい文章になるかもしれませんので、ご承知おきください。

”日替りのような出来事もそっと 石碑の上に書きつけようか”

”日替りのような出来事もそっと 石碑の上に書きつけようか”

”そうしたら千年生きられようか 言葉は千年生きるだろうか”

「The Long Goodbye / 長いお別れ」 - Gotch

 

リオハで唯一の日本人なのでちょっとしたことで有名になるし、目立つので声をかけられることも多い。特に子どもたちからは人気があってサインや握手を求められることも。




既に長い時間をペルーで過ごしている気もするし、まだ来たばかりのようにも感じる。
2023年はペルー南部での暴動により、首都退避から始まった。たった5か月しか過ごしていないクスコを後にし、2023年の最初の3か月は首都のリマで過ごした。そこから、任地変更でリオハにやってきて9か月が経った。ペルーに来てからだと既に1年5か月が経っているけど、いろんなところを転々としているからか、いつまでたっても気持ちはニューカマーだ。
やる気に満ち溢れていていいじゃん、っていう見方もできるし、いつまでたっても緊張状態が続いているという捉え方もできる。何となくそういうふわふわとして精神状態で2023年の大半を過ごした気がする。

 

忘れられがちだけど、”林業・森林保全分野”の協力隊員。ちゃんと専門分野の活動をメインでしてます。




しかし、11月以降くらいから何となく自分もリオハに馴染み、この街の一部になってきたように感じている。たぶんこう感じるようになった大きなきっかけは特になくて、日々の小さなことの積み重ねが、自分にこういう感情を抱かせるのだと考えている。今回はこういう小さな出来事をもとに、自分の感情がどう変化していったかを文字に起こしてみようと思う。

 

いつも髪の毛を切りに行っているカルサダ町の家族。自分を息子のように迎えてくれる。



リマの隊員のみなさんが旅行で来た際に、一緒にアワフン族が暮らす森へ。




まず最近、同僚に大小問わずお願い事をされる機会が増えたように思う。例えば、物を運ぶとき、人を呼んでくるとき、少し大きめの会議の設営や運営、配属先主催のイベントへの参加。すぐにできることから、1日つぶれてしまうことまで、大小は様々だが初めの半年間はまるで「お客さん」だったのがきちんと「配属先の一員」になったと感じる。初めは倉庫の掃除をするときも手伝おうとすると「Taka汚れちゃうから大丈夫だよ、オフィスで待ってな」みたいに言われていたことが、最近だと「Takaは言った仕事すぐしてくれるし、なにより一個一個指示しなくても先読みして動いてくれるから助かるんだよね~」みたいに言われるようになった。

リサイクルイベントにて、子どもたちと一緒に裏紙を使って折り鶴作り。同僚から日本の文化も伝えてあげて、と依頼されたので実施。

時間が解決した部分も大きいし、活動が軌道に乗り始めて物事を俯瞰して見られるようになってきたことで自身の気持ちに余裕ができたことも要因の一つだろう。もちろん、スペイン語の上達も間違いなくこの変化の大きなファクターと感じている。そして何より、自分が同僚に自発的に近づこうとしていることがこの変化につながっていると確信している。

隣の州のアマソナス州へ1泊で業務出張。保護区が位置する自治体を回って会議に参加。

それなりにコミュニケーション能力にもスペイン語能力にも自信はあったが、コミュニケーションを積極的に取りたい、というタイプでは無かったことも相まって、退勤後や土日にまで同僚に会うことはあんまりなかった。それどころか誘われても何かと理由をつけて(緊急性はまちまちだが、本当にやらないこといけないことはあった)半分くらい断わっていた気がする。それが、ここ数か月よほど緊急性の高い用事が無い限り、誘われたものにはほぼ100%参加している。さらには自分から同僚を誘って買い物や食事に行くことも多くなった。その結果が今の自分の現状につながっていると思っている。

任地リオハで唯一のファンシーな雰囲気のカフェ。おしゃれ空間。

同僚たちとクリスマス会。同じくおしゃれ空間のカフェで。

 

もともと周りの人に自分の内面を見せない性格だが(今も誰にでも見せるわけではない)、任地のサン・マルティン州で自分の思っていることを話せる相手もいる。いつも家族のように自分を迎え入れてくれる彼らには感謝しかない。お家に遊びに行ったら、ご飯を準備してくれていて(たまに自分も日本食を作ったりもする)、活動の話や日本の話、自分の悩みなどいろんな話をする。自分のことは”Hijito"(息子)や”Takita"(親しみを込めた呼び方で、タカちゃんみたいな言い回し)と呼んでくれるので、自分も彼らを”Papita””Mamita”(父ちゃん母ちゃんみたいな言い回し)で呼んでいる。

カルサダ町のPapitaとMamitaと一緒にお散歩。

同僚にも最近悩みを相談できるようになってきた。あと一歩のところで壁を作ってしまう自分の性格や母語でない言語で考えていることを伝える難しさを考えると大きな進歩だ。

同僚の子どもが産まれるということで”ベイビーシャワー”でお祝い。

同僚のパークレンジャーの家族と一緒にクリスマスを過ごした。Takaは一人で寂しくしてるんじゃないか、って心配してくれてたらしい。

こういった環境の変化による精神の安定は活動にも良い影響を与えている気がする。植林イベントの運営・参加(林業・森林保全分野で派遣されているので目的は自明)や保護区周辺集落の女性のエンパワメントを目的としたワークショップ(彼女らの積極的な環境保全の参加のための土台作り)、保護区の農業生産組合でのマーケティングの勉強会(環境に配慮した農業生産に対する経済的インセンティブの付与)など、自分の派遣職種や専門分野・得意分野に関わらず、必要とされている分野であればなんにでも一枚かむようにしている。

任地のアルトマヨの森での植林イベント。

保護区に近いナシエンテ・リオ・ネグロ集落の女性自治組織で、女性のエンパワーメントを目的としたワークショップをシリーズで実施中。写真はチームビルディングのワークショップを実施している様子。

保護区内の農業生産組合にてマーケティングの研修も実施。日本で学んだ知識を共有する機会を作り、一緒にどうやって農産物の販路拡大・高付加価値化を実現するかを議論する。

もちろんこの地域の持続可能な発展にトータルで関わっていきたいからという想いもあるし、これから国際協力分野でキャリアを歩んでいくにあたってバランスの良い人材となるためという意図もある。いずれにしても、積極的に多分野の活動に最大限注力できているのは同僚の協力あってのことであると言え、ひいては自分と同僚の関係の良好さがそうさせるのであると思う。

配属先で”女性に対する暴力撤廃の国際デー”の行進に参加した時の様子。

配属先とは別だけど、一緒に農産物の生産・販売の促進の仕事をしている農業組合のメンバー。




先行きが見えない中ネガティブな感情を抱きながらもがくところから始まった2023年も、右肩上がりにうまく歯車が回り始め、良い形で走り抜けることができたと思う。年末年始はゆっくりと活動のことはいったん忘れて過ごしたいなあ~、なんて思っていたら配属先の上司から年末チクラヨ(上司の実家のある町で、同期隊員もこの街で活動している)に行かないのか?と聞かれたものだから、急遽1週間前にチクラヨ行きを決めて、チクラヨで活動する同期隊員にも連絡を取って旅行することにした。

ペルー北部の海岸に位置する街、チクラヨ。

 

チクラヨのある北部コスタ地域は、海岸砂漠気候の乾燥したエリアで自分が住んでいるアマゾン熱帯雨林地域とも以前住んでいたクスコのような高山気候とも全く異なる気候だ。海が近いこともあり海の幸も豊かで、またチクラヨはいろんな地域と幹線道路でつながる物流の要所ということもあって豊富な食材もそろうためかグルメの街としても知られている。ペルーでも人口上位5位に入る大都市で、久々の大きな街にワクワクしながら、最近就航したタラポト-チクラヨ便のフライトで向かった。

チクラヨに向かう道中、任地のリオハからタラポト空港までずっと一緒だった保護区緩衝地域に住む女性。移動中の4時間くらいずっと話し相手をしてくれていた。

 

今回の旅行は配属先にほとんど人がいなくなる12月28日から1月3日の1週間の旅程で、メインの目的地のチクラヨだけでなく周辺地域で、世界遺産チャンチャン遺跡で有名なトルヒーヨ、上司の実家がありワカと呼ばれる遺跡が残るモチュミ、工芸品とクンビアの聖地モンセフ、海岸のリゾート地ピメンテル、シパン文化の街ランバイエケにも訪れることができた。

久々の大都会にテンションマックス。久々に食べる外資系の食べなれた味はやはりおいしいし、安心する。(不健康だけど)

メインの目的地のチクラヨでは、同期隊員が市場や中心地などいろんな場所を案内してくれた上に彼がお世話になっている日系人の家族も紹介してくれた。今回の旅程の中でも、かなり長くの時間をその日系人家族と過ごした気がする。新年の年越し祝賀パーティにも連れて行ってもらい、大勢のチクラヤーノ(チクラヨの人のこと、江戸っ子・大阪人みたいな表現)と一緒に新年のお祝いをした。

チクラヨの同期隊員と彼がお世話になっている家族と一緒に年越しパーティ。

チクラヨ日系人協会にも訪問。年に2回有志で開催する日本文化紹介イベントをチクラヨで実施できないか相談した。

チクラヨで仲良くなった日系人のAmigosと一緒に協力隊OVが経営する和食レストランへ。

 

トルヒーヨでは2名隊員が活動しているということもあり、チャンチャン遺跡だけでなくトルヒーヨの中心地やモチェ文化のエロティック公園なども連れて行ってもらった。人口増加の激しい街で人がたくさんいて雑然としている郊外とは打って変わって中心街は人の通りも少し減り非常に落ち着いていて洗練された雰囲気がある二面性のある街だなと感じた。チャンチャン遺跡はペルーに来た時からずっと行きたいと思っていた遺跡だったので、ようやく訪れることができて感激した。前日大雨が降ったこともあって博物館は清掃で閉まっていたが、広大な遺跡を一部歩いて回ることができて、またトルヒーヨ観光隊員のセニョールの案内もあって有意義な時間を過ごした。

ずっと行きたいと思っていた念願の世界遺産チャンチャン遺跡

トルヒーヨの中心街。トルヒーヨ隊員のお二人が1日中案内してくれました。

モチェ文化のエロティックな公園。置かれてる像のすべてがダイレクトすぎて小学生みたいに笑い転げてた。

 

モチュミでは、チクラヨの同期隊員と一緒に私の配属先の上司の実家を訪ね、街を案内してもらった上に郷土料理を振舞っていただいた。冗談好きの上司だが、細かいところでいつも気にかけてくれていて本当にありがたい限りだと思う。モチュミは観光地とはいいがたく、もしかすると私たちが初めて観光で訪れた日本人じゃないかと思うほどだった。商店街を歩いているとよほど外国人が珍しいのか、いろんな人が声をかけてきて明るく楽しい雰囲気を堪能した。

配属先の上司の実家にお邪魔させてもらった上にモチュミの街を案内してもらった。写真はワカ・デ・ラ・パバっていう遺跡。

ワカ・デ・ラ・パバで訓練所からの付き合いの同期隊員と。

上司の実家でサバのセビーチェと豚肉炊き込みご飯をごちそうに。

そして、チクラヨから30分くらい南下したところにあるモンセフも行くことができた。ペルーで人気のクンビアのグループ”Grupo 5”の結成の地で、クンビアの聖地として知られている。かくいう自分もペルーに来て以来少しずつクンビアを聞くようになり、中でも”Grupo 5”はお気に入りのグループだ。そして、パナマソウで編んだ帽子や刺繍、木工品など多種多様な工芸品が売られている街としても有名で、工芸品市場は小さいエリアながらもいろんなものを見て回っていると1時間以上かかってしまった。さつまいもとキャッサバの生地でできたドーナツでペルーの国民食のピカロネスも有名らしく、露天商で買ったピカロネスをパラソルの下で食べるのも風情があった。

クンビアの聖地モンセフの中心街。小さくてコンパクトな街ながらも、年の瀬ということもあって賑わっていた。

モンセフの工芸品市場。かわいい工芸品がいっぱい。穴場スポット。

 

新年1日にはリマの同期隊員も合流して海岸の街ピメンテルとシパン文明の街ランバイエケも回ることができた。元旦ということもあって、閉まっている場所も多かったのは残念だったが、日ごろの活動の話なども共有しながら旅行ができて非常に楽しい時間を過ごした。夕方にはチクラヨの同期隊員のおうちで、しめさば、おしるこ、年越しラーメンを食べてプチ正月気分を味わうこともできた。

同期隊員3人でピメンテルの海岸へ。

せっかくランバイエケのシパン博物館に来たけど、元旦のため中にすら入れず。入れなかった記念で一枚。

何となく悔しかったので、ランバイエケのもう一つの小さい方の、ブルーニング博物館へ。

そんなこんなで思い出したこと並べて書いたチクラヨ旅行だが、正月休暇が明けて既に任地サン・マルティン州リオハに戻って活動を再開している。
任地のリオハでは、年が明けてカーニバルが始まり日曜日はものすごい賑わいを見せているし、活動の方も1月後半に企画するワークショップの調整でてんやわんやしているところだが、この辺りは次回まとめて書けたらなと思い、今回はこのあたりで筆をおこうと思う。

同僚の誕生日のお祝い。一緒にカラオケもしたけど、最近ペルーで人気の曲を歌えたり、一緒に口ずさんだりできるようになったなと再認識。



思いついたことをポツポツと取り留めもなく書いた、まとまりのない文章だが私の大好きなバンドAsian Kung-Fu Generationのボーカル後藤正文のソロ曲「The Long Goodbye / 長いお別れ」でもあるように、”日替りのような出来事”もこうして記録に残すことで、自分がリオハを去った後もずっと思い出が褪せることはないんじゃないかと思っている。推敲もほとんどしていな駄文を、ここまで読んでくださった皆さんありがとうございました!!今年2024年も、全力でペルーの持続可能な発展の為に微力ながらも貢献していきたいと思う。

農業生産組合で話す様子。ワークショップの準備と実施に追われた10~12月だった。



最後の写真は、ペルーのセルバ(アマゾン熱帯雨林地域)でよく食べられるスリという幼虫の串刺し。クリーミーでおいしい。



 

P.S.
最後に、本来であれば2024年の抱負を少しばかり述べてこの投稿を終わりにしたかったのですが、2024年年始に起こった能登半島震災についても少しばかり言及できればと思います。地球の裏側になってしまった母国日本で、たくさんの方がお亡くなりになり、傷つき、今も困難に直面していることのに対して、日本に居ない私は直接的にできることは寄付以外思いつきません。ニュースで能登の震災に関わることを見聞きするたびに、自分が何かできないことに悔しさを感じる毎日です。私は国税でペルーへ派遣されいる身であり、ペルーの発展のためはもちろん、日本社会への還元も責務であると認識しています。しかし、遠く南米の地でできることは日本の代表としてこの地域ですべきことを全うし、草の根レベルでの日本とペルーとの外交関係の橋渡しをすることだと考えています。今回の震災の件もあって、自分がここで果たすべき責任に関してさらに深く考えることとなりました。私自身、出身が淡路島で1995年の阪神淡路大震災の被災者です。幼かったため、記憶は明瞭ではありませんがそれでも親から聞かされる震災やもともとの家の横に建てた仮設住宅で過ごしたことは覚えています。今回、自分という人間が母国日本に対して何ができるか、何をすべきか改めて考えさせられました。そして、ありがたいことにペルーの友人や同僚も今回のニュースを聞いて、心配の声をかけてくれました。私一人でできることはこうして、小さな地域で人と人のつながりを広げるこですが、世界中で活躍する他の協力隊員の積み重ねでゆくゆくは国と国とつながっていく世界を実現することこそがJICA海外協力隊事業の意義なのではないかと感じました。

”揺らいでいる頼りない君もいつかは 僕らを救う明日の羽になるかな”

“鏡みたいに写る僕らの心細さも全部抱えて
君の街まで飛ぶための歌
揺らいでいる頼りない君もいつかは

僕らを救う明日の羽になるかな”

「君の街まで」- Asian Kung-Fu Generation

 

ラマス市のワイクというケチュア民族が生活する集落を訪れた際の写真。任地は少数民族が多数いる州だが毎度彼らの純粋な笑顔が印象に残る。




さて、またしても長い間更新をさぼってしまっていました。少し長くなるかもしれませんが、可能な限りお付き合いください。前回の投稿以来、いよいよ自分の立てた活動計画が実際に実行されつつあります。

 

任地アルトマヨの森保護区の展望台にて撮影。18万2千ha(東三河地域と同等)の面積を誇るペルーの自然保護区。



 

 

 

 

まず初めに取り掛かったのは学校に訪問して、環境啓発の授業をするところでした。アルトマヨの森保護区は、アマゾン川に流れゆくマヨ川の流域の保全を主題に国の自然保護区に制定された森であり、水源の重要性を伝えることは必要不可欠であると考えました。そこで保護区やその周辺の小学校を巡回し、いくつかの小学校で日本の高度経済成長期の川の汚染を例えに、川の汚染が人間生活に及ぼす影響と修復が簡単なことではないことを視覚的に伝えるアクティビティを実施しています。これまでに、3校のいろんな学年を対象に実施してきましたが、もう少しモデル校を増やすことと中等教育学校の高学年(高校生に当たる学年)には簡単な英語で実施することで、環境啓発のみならず国際理解の意図も含んだアクティビティにできたらと考えています。(ペルーの地方部ではあまり実用的な英語を習っていないので、かなりスペイン語メインで実施しないと難しそうですが。。。)

 

保護区内外の小学校を巡回して、環境啓発授業を行う。毎度意識していることだが、裨益者と話す際は同じ目線で話すことを意識している。



 

また、サン・マルティン国立大学の林学コースで日本の森林科学分野の授業をした後、今年任地のサン・マルティン州で開催された2023年の全国環境工学学会にも招待講演をしてほしいと依頼があり、”日本の林学とペルーにおけるその応用”というテーマで、日本の林政や技術を紹介する講演を全国から集まった環境工学系の学生約150人を対象に行いました。1時間ほどの講演でしたが、なんとかスペイン語で乗り切ったのも束の間、すぐに学生や引率の先生に囲まれ大量のスペイン語での質問を浴びせられるというありがたい時間をちょうだいしました。環境に関してのワークショップ関連の活動は比較的良いスタートを切れたのではと思います。

 

モヨバンバ市で開催されたCONEIA2023(ペルーの環境工学系の学会)にて日本の林学に関しての講演をさせていただいた。




 

 

農業組合の支援に関しては、なかなか日本である程度まとまったロットを輸入してくれる会社さんを見つけることに苦戦しており、日本ペルーに関わらず、コーヒーの事業に関して詳しいいろんな方にアドバイスや見解を伺いながら、可能性を模索しています。まだまだ苦戦しそうです。そんな中でもペルー国内市場に目を向けると、リマ市内の工芸品のお店で任地のレギュラーコーヒーを置いていただけることとなり、その立地とお店の特性からしても国内外のお客さんにアルトマヨのコーヒーと保護区での取り組みのストーリーを知ってもらえる場所になるのではと期待しています。

 

リマ市バランコ区の工芸品店にてアルトマヨの森のコーヒーを置いてもらい始めた。



 

さらに、東京のJICA市ヶ谷にて、日本-ペルー外交樹立150周年を記念した特別展が行われていることもあって、JICA市ヶ谷内のレストランにおいて任地の組合が生産するコーヒーの試売もさせていただきました。

 

今年2023年が日本ペルー外交樹立150周年ということもあって、JICA市ヶ谷にてペルーに関して企画展が行われている。その展示に際して、JICA市ヶ谷の食堂では任地のコーヒーが試売された。



 

自分的には当たり前と思ってきていた商慣習がペルーでは通用せず、予測不能なことが起こりまくりの活動ですが、多くの人の話を聞きながら販路拡大という大きな目標に向けて実施しています。やはり、環境を保全しながらも安定した収入源を担保することは必要不可欠であり、組合の持つノウハウを保護区周辺のたくさんの農家さんに実践してもらい、収入安定・向上と環境配慮型農業の両立を実現するためには、組合に豆を下ろしてもらうだけの経済的なインセンティブと生産量(取扱量)に見合った販売量の担保が必要になってくると考えています。そういう意味では組合の職員も口をそろえて言うように、コーヒー消費大国がそろう東アジアのマーケットは魅力的で、このエリアに販売した実績を作り、事業を拡大させていくことが求められていると感じています。まだまだ難題だらけですが、収穫期ではない今は来年の収穫に備えて、組合を対象にマーケティングや市場調査、日本の企業に浸透しているカイゼン活動のワークショップの実施等を計画・実施しています。

 

今年7月に竣工されたばかりの組合の倉庫兼事務所兼ラボ。



 

 

 

 


毎月のように保護区内に足を運んでは、対象樹種のモニタリングを実施し情報を蓄積しています。また並行して、地域の住民の男女を対象に“森林資源の利用におけるジェンダー”というテーマで森林資源の有用性と男女間における認識の違いを浮き彫りにするためのワークショップも行っています。森周辺の農村部では家長は基本的には男性でありまだまだ男尊女卑の文化が根強く残っています。集会などにも男性しか出てこないなんてことも多々ありますが、参加型森林管理ではやはり男性も女性も直接的に関与してもらうことが求められており、女性が積極的に参加できる文化の醸成、さらには女性の能力向上が求められています。今回の男女同数でのワークショップでは、そもそも同数そろえることに苦戦しましたが、想定していた通り男女で森林資源の利用に対する捉え方は異なっており、その捉え方を男女間で確認しあい尊重しあうことの重要性を共に学べたのではと感じています。

 

”森林資源利用におけるジェンダー”というテーマでワークショップを実施した際の様子。参加者は男女4人ずつと少数だが、女性の参加者を募るのにやや苦労した。



 

サン・マルティン州の他の地区での話でも後述しますが、困難な文化的コンテクストの中でも、女性の力強さを感じる機会は多いです。アルトマヨの森保護区では民間NGOとも連携して多岐にわたる女性のエンパワメント活動を行っています。森林保全という文脈からは少しそれてしまいますが、女性のエンパワメントの活動にも積極的に関与するようにしていて、NGOや配属先に提案して、女性自治委員会のメンバーへの聞き取り調査を実施し、その調査に基づき、チームビルディングやカイゼン活動、帳簿や栄養教育など、自分が知識を持ち合わせていないものでも多くの関係者を巻き込みながらワークショップを実施しようとしています。既にいくつかは実施予定もあり、こうしてかんけいしゃを増やして事業を大きくしていくことも協力隊員に求められるひとつの要素であると捉えています。特に栄養教育に関しては、JICAや同期の栄養士隊員、他のNGOや郡役場を巻き込んだ少し大掛かりな企画となっており、調整する側としては不安半分、ワクワク半分といった気持ちです。予算申請からメインで携わっており、困難もあるかと思いますが、精一杯できることをやっていきたいと思います。彼女たちが元来持つ芯の強さを自由に表現できるよう、黒子としてサポートをすることも自分の一つの課題であると考えています。

 

活動を行っているナシエンテ・デル・リオ・ネグロ集落の女性自治委員会のメンバーの自宅に戸別訪問し、課題を正確に捉えることが目的。




 

 

 



ここまでの活動に関して要約して書き連ねてきましたが、この内容に関しては9月にりまにて実施された中間報告会でも、スペイン語で発表してきました。この週は1週間丸々リマに滞在し、健康診断や大使館表敬、30年ほど前テロで殉職したJICA専門家の慰霊碑訪問、日本文化紹介イベントなどたくさんのイベントがありました。慰霊においては志半ばで命を落とした3名の専門家に献花し、あらためてペルーの発展の為に彼らの意志を受け継いで鋭意邁進していくことを誓いました。

 

1991年にJICA専門家3名がテロリストによって殺害された現場跡に建てられた慰霊碑。改めて、彼らの意志を引き継いでペルーのさらなる発展の為に尽力することを誓った。



 

また日本文化紹介イベントでは、幹事の一人として、至らない点もありましたが参加者全員が楽しめるよう調整をさせていただきました。多くの人の協力もあって、来場者の方々には喜んでもらえたのではと自負しています。

 

リマ市チョリーヨス区にあるロス・パンタノス・デ・ビジャの保護区にて日本文化紹介イベントを開催。



 

そして何より、中間報告会。任地のリオハから事務所長もわざわざ来てくれて、多くのJICA関係者、政府関係者、他国の国際協力機関、他隊員の配属先関係者の前で自分の活動について発表しました。他の隊員が1年間の活動を報告する中で、任地変更のあった自分は6か月間の活動報告となりボリュームにおいてはまだまだ足らない活動ではあると自覚していますが、それでもこの半年間は感情のコントロールや新任地での適応などたくさんの困難を抱えながらもできる限りの活動は実施できたのではと感じています。スペイン語においてもこの1年間で日常生活だけでなく活動においてもあまり苦労することのないレベルまで引き上げることができたので、前半1年間は成功と呼んで差し支えないと思っています。もちろん後半の1年間は何かしらトライしたことに対して結果を求める年であり、結果を求めて日々努力を続けるのみと考えています。

 

9月に実施された中間報告会の様子。

 

終了後、配属先のアルトマヨの森保護区の事務所長と記念撮影。



 

 

またこの1週間は、農村部の任地を離れて大都会のリマでリフレッシュする良い機会だったとも捉えています。任地では食べることのできない料理を食べ、首都退避中お世話になった植物園の同僚や日系コミュニティの友達と会って、この半年間の近況報告をしあいました。元任地のクスコや現任地のサン・マルティンだけでなく、首都リマにもたくさんの友達がいることは私にとって協力隊期間における大きな財産だと思います。

 

いつも気にかけてくれる日系人のおうちにも行ってきた。いつ行っても温かく迎えてくれる。



 

 

 

以下、9月のリマでの1週間のあとのアヤクチョ旅行と11月に同期と後輩隊員が自分の任地を訪ねてくれたことに関する、いわば旅行記です。

 

アヤクチョ州にあるミルプというターコイズブルーの水が流れる渓谷。




まずは9月のリマでの多忙な1週間の後、せっかく同期が集まっているのでこの機会を利用して中央アンデスの街アヤクチョへ国内旅行に行ってきました。よくよく考えてみると、これまでクスコ、リマ、サン・マルティンから出たことはなく、初めての国内旅行でした。雄大な自然とかわいい工芸品で有名なアヤクチョですが、そう長い期間や住むこともできないので3泊4日で敢行しました。空港に着くなり、中心地に移動して食べた鱒のキヌア揚げは本当においしくて改めてペルーが美食の国であることを認識させられました。そしてまずは、ターコイズブルーの澄んだ水が流れるミルプというところにツアーに参加していってきました。息が止まるくらいの絶景に時を忘れ、目的地にアヤクチョを選んだことは本当に正解だったと強く思いました。

 

綺麗で冷たい水に触れる。アヤクチョを目的地に選んで正解だった。



 

他にもクオリウィルカ渓谷やワリ文化遺跡群、パンパ・デ・アヤクチョ歴史保護区などアヤクチョの代表的な観光地を巡り、充実した時間を過ごしました。またアヤクチョの人はみんな温かい人ばかりで、どこか人懐っこくて、この人間性にも惹かれるところがありました。工芸品屋さんや市場、屋台などで色んな人と話をし、楽しい時間を過ごすことができたように思います。一緒に行ってくれて楽しい時間を共有できた同期にも感謝です。

 

クオリウィルカ渓谷。1時間強のハイキングで、渓谷の中は暗いところも多かったが景色を楽しみながら歩いた。



ワリ文化遺産群。ワリ文化の伝統的な服装を着た人と記念撮影。



パンパ・デ・アヤクチョ歴史保護区。広い平原で吸う空気はおいしかった。いろいろと連れて行ってくれたガイドさんにも感謝。



 

 

 

 

 

また先日は協力隊員4人が、サン・マルティン州の私の任地アルトマヨの森保護区に遊びに来てくれました。4人は自分と同じくSERNANP(ペルーの自然保護区を管理する環境省所轄の機関)の他の自然保護区でも活動しているので、まずは私の任地の自然保護区を訪れ、さらにサン・マルティン自体についても知ってもらえるようにと旅程をコーディネートしました。自然保護区内ではアグロフォレストリーシステムによって生産されているコーヒー農園、パークレンジャーが常駐するコントロールポスト、そして3か所の野鳥観察施設を訪れました。

 

アルトマヨの森保護区のヌエバ・セランディア集落のコーヒー農園前にて撮影。森を保全しながらコーヒーの生産を行っている。



保護区内でSERNANP隊員で記念撮影。遠いところから来てくれてありがとう!



野鳥観察施設にて。目の前でハチドリなどの野鳥が観察できる。



 

配属先のオフィスや農業組合では、いつも一緒に働いている同僚がこの保護区での取り組みや歴史を紹介してくれましたがなるべく同僚、組合員、森林住民の話を文化的・社会的コンテクストも踏まえて翻訳して伝えるように意識しました。やはり1年も住んでいると意外と自分の専門外の話でもスペイン語分かっているな、と自画自賛したくもなりました。来てくれたみんなにとって、今回の保護区での経験が貴重なものであったと願っています。

 

保護区の事務所メンバーとも一緒に記念撮影。



 

保護区訪問後は、モヨバンバとリオハからなるアルトマヨ地区を旅行しました。以前TBSのナスDの番組でも取り上げられたことのあるアワフン民族の先住民コミュニティの女性たちが管理するヌワの森(ヌワはアワフン語で「女性」の意味)を訪れましたが、どうやら私たちが初めての日本人来訪者だったようです。この森では少数民族の生活を体験し、彼らのエコな生活を見せてもらいました。

 

少数民族アワフン族の女性と一緒に”悪魔の家”と呼ばれる木の前で写真撮影。



 

サンタエレナ生態パークではアマゾン流域を流れる川を小舟で巡るツアーに参加しました。アルトマヨ地区を見てまわった後は、サン・マルティン州の経済の中心地であるタラポトへ移動しました。

 

小舟に2時間揺られてアマゾン流域の川を下り、いろんな動植物を観察した。



 

タラポトには何度か行ったことがありましたが、あまりこれまで観光地には行っていなかったのでこの機会に色んなところをまわることにしました。タラポト初日は市街地から1時間ほどのところに位置し、これまでずっと行きたかったチャスタ町へ行きました。サン・マルティン郡のチャスタ町では、アグロフォレストリーシステムによってカカオの生産がされており、このカカオのビジネスでは、女性のエンパワメントを目的に女性自治委員会も設立されたという経緯があるそうです。チャスタ町や私の任地のアルトマヨに限らずですが、男尊女卑の文化も色濃く残るペルーの地方の街では女性のレジリエンスをひしひしと感じることが多々あります。自分のここでの活動もまた、ペルーの地方に住む女性の能力向上・自己肯定感向上につながるようなものになればと思っています。また、チャスタ町では30年ほど前までは麻薬密売のためにコカの葉が生産されていました。しかし少しずつ状況は変わり、今では経済的にも政治的にも健全なビジネスを行っています。環境を保全しながら地域社会の持続可能な発展を目指して農業生産に取り組んでいる姿から、多くのことを学び、チャスタ町はペルーの中でも1、2を争うくらい好きな街になりました。 もっと他にも農園や農業組合が町にはあるそうで、焼き物も有名なので製陶所にも行ってみたいと思っているので本当に何度でも訪れたいと考えています。

 

チャスタ町の女性自治委員会によって設立されたMishki Cacaoというチョコレートの製造販売をするお店。ストーリー性のある農産物。日本の人にももっと知ってほしいな。



カカオ農園を見学させてもらった。アグロフォレストリ―を実践していて、自分の活動にも役立つ情報がたくさんあった。



陶器も有名なチャスタ町。今回は行けなかったがまた訪れた際には製陶所も見学したい。



 

チャスタからの帰り道には、「タバカレラ・デル・オリエンテS.A.C.」のタバコ工場と農場を見ました。 今まで吸ったことのなかった憧れの葉巻を体験させてもらい、またタラポトのタバコ生産の歴史も学びました。

 

初めての葉巻。タラポト近郊の村ではタバコの生産もされていて、タラポト市内にある工場に訪問した。



 

タラポト2日目は郊外にあるアワシヤクの滝とラマス市へ行きました。タラポトは熱帯地帯にありますが、滝では少しひんやりとしていて空気が澄んでいたように感じました。

 

タラポト市街地から30分ほどの距離にあるアワシヤクの滝。熱帯地域の大都市タラポトだけど、ここは空気が新鮮で涼しかった。

 

ラマス市ではイタリア人実業家が建てたラマス城や山の景色を一望できる展望台レストランなどを訪れましたが、最も魅力的だったのは先住民ラマス・ケチュア族のワイク集落を訪れたことです。この町では、手作りの工芸品、ケチュア語の歌、伝統的なダンスを見学させてもらい、記念に民族特有の柄が入ったチュンベというベルトを買いました。踊りや歌を披露してくれた先住民の子どもたちの純粋な笑顔が目に焼きついていて、きっと今回の旅の思い出は色あせることが無いだろうなと感じています。

 

ラマス城も訪問。20数年前に建てられた新しいお城だけど、十分にラマス市に人を呼び込む観光資源になっていると感じた。




ラマス市の展望台にあるレストランにて、山の景色を見ながら昼食。ピラルクのセビーチェを注文。



少数民族ラマス・ケチュア族の集落では工芸品やケチュア語の歌や伝統的な踊りを披露してもらった。



 

改めてサン・マルティン州には魅力的な場所がたくさんあることを実感し、これまで以上にサン・マルティン州のことが好きになったように思います。是非日本からの観光客も、クスコやナスカだけでなく、サン・マルティン州にも来てもらって、忘れられないような濃い体験をたくさんしてもらいたいなと思いました。おそらく通訳もできるので、もし興味のある方はぜひいらしてください!

 

タラポトでは初めてのディスコ。エネルギーは失ったけど、楽しい時間を過ごした。



タラポト市内のタイ料理レストランにて夕食。同じ敷地に事務所を構えるNGOの職員で家がお隣の友達も用事でタラポトに来ていたので、一緒にタイ料理を楽しんだ。



 

 

 

ここまで長々と綴ってきましたが、タイトルにも引用したAsian Kung-Fu Generationの「君の街まで」という曲が最近の自分の心情を説明するのに適当と感じています。

 

”鏡みたいに写る僕らの心細さも全部抱えて 君の街まで飛ぶための歌”

 

このフレーズではまだまだ経験不足で不完全な私自身も、この保護区に住む住民の為に何かできるのではないかと思い、自分の感情を発信しようとする今の私の姿勢そのものだと捉えています。


”揺らいでいる頼りない君もいつかは 僕らを救う明日の羽になるかな”

 

そして、後半のこのフレーズ。都市部と比較して社会インフラも脆弱な任地の森ですが、そんな中でも彼ら・彼女らは強く、たくましく日々の生活を送っています。確かに都市部や先進国の高度な教育を受けた人たちと比較すると、学術的な意味で知っていることは限定的ですが、先祖から受け継がれた活きた知恵に基づいて、生活の質の向上に向けて努力しており、またそんな彼らを配属先や他の民NGOはサポートしています。こうして、環境を保全しながら生活の質を向上させようとする彼ら・彼女らは私をはじめいろんな人を勇気づけ、そしてまた彼ら・彼女ら自身の取り組み事例はきっと他の地域の開発課題を解決する一つの糸口になるんだと思います。私はそんな彼ら・彼女らに勇気と優しさを分けてもらいながら、また彼ら・彼女らにお返しするために自分のできる最大限のことをするのだと思います。きっとこうして後半の1年もあっと言う間に過ぎてしまうんだろうな、そんなことを思う任地リオハでの夜に思いを馳せながら筆をおきます。

8月31日に30歳になりました。事務所だけでなく、良く自分のことを気にかけてくれるリオハのママのお家でも誕生日会をして祝ってもらいました。



 

“夢みたいなこの日を 千年に一回ぐらいの日を 永遠にしたいこの日々を そう今も想っているよ”

リオハに着任してから、残された任期のことも頭によぎったこともあって怒涛の勢いで、保護区内を見て回り、計画を策定し、少しずつ行動に移し始めてきました。3月中旬に着任してから約4ヵ月。本当に濃い時間を過ごし、長かったようにも感じるし、逆にあっと言う間に4ヵ月が過ぎたようにも思います。途中、約3週間の休暇もはさみ、クスコに数日、日本に2週間帰ることもできました。

アルトマヨ保護区内にあるオネルコチャ湖。観光資源の一つ。

今回はこの4ヵ月間で取り組んだことと、それらの取り組みの中で学び、感じたことを綴ろうと思います。この冒頭を読んでくださっている方は、少しばかり長い話にお付き合いください。活動の話はいらんわ、って方はⅠ~Ⅳの活動に関する内容は飛ばして、最後の方の「ようやく~」から始まる文章だけでも読んでもらえると嬉しいです。1年間ペルーで色んな人と出会ってきた中での自分の今の心情の部分にフォーカスしています。

JICAのペルー事務所で研修中の職員がリオハに一週間滞在したときに。心強い同僚。

まずは、赴任してすぐに保護区の現状を知るために色んなエリアに足を運びました。その中で自分のリソースをどういった活動にベットしていくのかについての考えをまとめてみようと思います。主に取り組む活動項目3つ+個人的に取り組みたいこと1つの構成で綴るので、興味のある所だけでも目を通していただけると嬉しいです。

着任して初めの1ヵ月はホテルで滞在しながら家探しをしていたが、5月からは家が決まって生活も落ち着いてきた。



 

 

Ⅰ. 保護区内の森林調査
どこのエリアもコーヒーで生計を立てている農家が多く、また彼らは原生種の木を農園に植えてアグロフォレストリ―(森林内でコーヒーを栽培する手法)を実現していました。農園に植えられた木のほとんどは、配属先とその協働NGOが技術支援をしている苗代で育苗されたもので、アグロフォレストリーの技術的なサポートに深く関わっていくことは”林業・森林保全分野”の青年海外協力隊員としては必至だと感じました。

パークレンジャーの同僚と植林した木に施肥を行っている。

サン・マルティン州は森林地帯が多いにもかかわらず、森林科学部を持つ大学は1校も存在せず、大学卒の同僚も大抵は環境工学生態学の学部出身の方が多いです。同僚の半数以上がサン・マルティン州出身で、それらの学部出身の同僚は林学はわかるものの、林学分野にめっぽう強いという方はいなかったため、森林の調査などもほとんど行われておらず蓄積された情報に限りがありました。

同僚が実施している調査のお手伝い。保護区内の昆虫生態の調査を行っている。

コーヒー農園でもいろんな原生樹種が植えられていて、この農園の生態系システムをコントロールしていくためにも調査が必要であると配属先も考えていたため、まず手始めに代表的な原生樹種(特にコーヒー農園において肥料木やシェードツリーとなる樹種や果実が保護区内の動物の餌となるような樹種)のフェノロジー(どの季節に花を咲かせ、果実をつけるかなど)を年間を通してモニタリングすることにしました。

アルトマヨの森の代表的な自生種Cedro(センダン科ケドレラ属の植物)

18万2千ha(愛知県の東三河地方とほぼ同じ面積)の広さを有し、車道のない道がほとんどのアルトマヨの森保護区全域で定点モニタリングをするのはかなり無理があるため、それぞれ森の北側と南側に位置し、また配属先が所有する監視所(パークレンジャーが常駐し、寝泊まりもできる)が近く、どちらも標高が1,100~1,300mと同程度であるフアン・べラスコ集落とヌエバ・セランディア集落近くの原生林を調査地として選定しました。サン・マルティン国立大学の生態系学部で林学のコースを担当している大学教授にアドバイスをしていただき、彼の助言をもとにまずは各樹種3個体ずつで定点モニタリングする樹種を選び、それぞれ属レベル種レベルまでの樹種同定を行いました。それぞれ調査樹種は、

-フアン・べラスコ集落 -
①“Chope”
Gustavia augusta - Lecythidaceae
ガリバナ科グスタフィア属
②“Cedrón”
樹種同定未完
③”Sangre de grado”
Croton lechleri - Euphorbiaceae
トウダイグサ科ハズ属
④”Caraña”
Dacryodes sp. - Burseraceae
カンラン科ダクリオデス属
⑤”Cedro blanco”
Cedrela sp. - Meliaceae
センダン科ケドレラ属
⑥”Tornillo”
Cedrelinga cateniformis Ducke - Fabaceae
マメ科ケドレリンガ属
⑦”Meto huayo”
Caryodendron orinocense H. Karst. - Euphorbiaceae
トウダイグサ科カリオデンドロン属

-ヌエバ・セランディア集落 -
⑧”Huarumbo”
Cecropia sp. - Urticaceae
イラクサ科セクロピア
⑨”Eritrina”
Erythrina sp. - Fabaceae
マメ科デイゴ
⑩”Moena”
Aniba sp. - Lauraceae
クスノキ科アニバ属
⑪”Cedro rojo”
Cedrela odrata - Meliaceae
センダン科ケドレラ属
⑫”Quillosisa”
Vochysia sp. - Vochysiaceae
ウォキシア科ウォキシア属

の計12種(アルトマヨの森の原生種)で、コーヒーのシェードツリーとして有用な樹種や、根粒菌と共生し窒素固定能を持つマメ科植物などが含まれいています。既に、苗床で育苗している樹種あり、それらの苗は住民にコーヒーノキの苗を配布するときに一緒に手渡しし、各々の農園に植えてもらうことでアグロフォレストリ―を実現しています。

調査種のうち数種類はすでに苗代で育苗している。すべて保護区住民への配布用。

 

また、育苗を行えていない樹種に関しては調査において種の獲得も目指します。いずれにしてもどの樹種も、経験的に季節性は知られているものの、実際のデータとしては存在しないので、これからの1年間(2023年7月∼2024年6月)で毎月フェノロジーのモニタリングを行います。また、折を見て各集落の住民に聞き取りを行い、経験則に基づく各樹種の有用性や重要度について情報を集めることで、科学的なデータと慣習に基づくデータの集約もしていきたいと考えています。来年の任期終了間際にはデータをまとめ、共有できるようにすることが目標です。またそのデータに基づいた植林計画を示唆するところまでできれば、この地域の森林保全に少なからず貢献するとともに、農家のアグロフォレストリ―による農業生産の一助になるのではと考えています。

アルトマヨの森から流れゆくマヨ川。ワジャガ川、マラニョン川へと合流していき、最終的にはアマゾン川に流れゆく。



 

 

Ⅱ. 農作物の生産組合の販路開拓
林保全を行っていくうえで、そこに住む人の生活は考慮すべき重要なファクターであると考えています。仮に住民の生活を担保することなく、森林保全の施策を推し進めた場合、違法伐採や拡大農業、さらには住民間の軋轢につながると考えています。なので、私自身は住民が森林保全に貢献しながらそれぞれの生活の質を向上させられるような事業にもできる限り貢献したいと考えていました。アルトマヨの森保護区では、約十年前にコンサベーション・インターナショナル(以下、CI)という国際NGOがプロジェクトをスタートさせ、私の配属先であるSERNANP(環境省所轄国家自然保護区管理事務局)と協定を結びました。この国際NGOの知見に基づき、保護区内の住民と環境省保全協定を結び、私たちSERNANPやCIが技術支援や資金的な協力を、受益者である住民は協定の条項を遵守し森林を保全しながらそれぞれ活動を行う、というシステムを築きました。

保全協定を結ぶ前からコーヒーの生産が行われてきた。今は、保全協定を結ぶ家庭は森林を保全しながらコーヒーを生産している。

そして2014年には保全協定に署名した71人の住民によって、COOPBAM(和名、アルトマヨの森生産協同組合)が組織されました。この組合では主にコーヒーの生産と販売が行われており、私たちSERNANPやCIも可能な限りのサポートを行っています。これらのサポートもあって、2015年にはUSのオーガニック認証を、2016年にはフェアトレード認証を取得しました。

USオーガニック認証の監査立ち合いに随行。住民は化学農薬を使うことなく、ぼかしなどの有機肥料を利用し、酵母などによる生物的防除を行っている。

現在販路の97%はアメリカやヨーロッパ、ニュージーランドなどの外国への輸出で、生産量や組合農家の数の増加により、組合農家の生計向上や収入の安定のために安定した新しい市場を開拓することも必要となります。そこで、私が協力隊員としてここに配属されたのを一つの契機に、これまで直輸出したことのない日本市場の開拓の可能性を模索することとなりました。日本は世界で3番目に大きなコーヒーのマーケットといわれており、また来年EU諸国での農作物の輸入に関する制限が変更されるという話もあるため、日本にぜひ輸出したいという組合側の意向もあります。

組合の倉庫に収穫した豆が持ち込まれる。パーチメントコーヒーの状態でペルー北部沿岸のピウラ州パイタに輸送され、提携している業者によって脱穀され、各国へ船で輸出される。

日本でペルーと聞くとナスカの地上絵やマチュピチュ遺跡を真っ先に思い浮かべる方が多く、観光大国というイメージを持っている方も多いかもしれませんが、有名な観光地は南部に位置しているところが多く、北部にあるサン・マルティン州ひいてはアルトマヨの森は耳にしたことのない人がほとんどかと思います。せっかく日本に輸出ができたとしても局所的な輸出入ではなく持続可能な取引となるためにも、アルトマヨの森のことも知ってもらった上で愛飲してもらえたらなという想いもあります。なので同僚のサポートも得て、アルトマヨの森の豊かな自然とこの森での持続可能なコーヒー生産が伝わるような日本語字幕付きのショート動画を編集し、日本のコーヒー卸業者さんや焙煎所さんと話をするときの説明資料の一つとしました。

【アルトマヨの森保護区紹介動画】

youtu.be

【アルトマヨの森コーヒーのフェアトレード認証についての動画】

youtu.be

また、私はコーヒーを頻繁に飲んでいたものの特に詳しいわけでもなく、アルトマヨの森保護区に着任してからコーヒーについての勉強を始めました。実際に農園や組合が持つラボやコーヒーカッパー養成校に行って学ぶという、日本では滅多にない機会を享受できているものの、インプットはすべてスペイン語であるため苦戦しているところです。

組合の倉庫の2回にあるラボ。持ち込まれたコーヒー豆をカッピングし、味を評価し基準を満たす豆のみ引き受けることで品質管理が行われている。

それでも、アルトマヨの森のコーヒーに興味があると言ってくれる会社さんに輸入してもらえる可能性を少しでも高めるために、コーヒーについて一通りの説明ができるようになればと学びを続ける毎日です。(味が十分に雄弁で、僕の説明はあくまで補助的なものであると思っていますが。)6月には日本に一時帰国をしていた機会を利用して、いくつかの卸業者さん・焙煎所さんに生豆のサンプルをお持ちしてカッピングしてもらうことができました。ありがたいアドバイスやポジティブな評価もいただけました。生豆を日本に持ち帰るにあたってはペルーの農業潅水省が発行する植物検疫証明書が、日本の税関で必要となるため、組合や同僚の協力によってこの証明書の発行も行いました。いろんな方が関わって、それぞれ労力を割いてくれていることでもあるので、今回の取り組みが功を奏して輸出入が実現すればいいなと思っています。

日本に持ち帰った生豆サンプル。麻袋のロゴは日本への販路拡大用に、同僚と一緒に和名を打ち込んで編集したもの。



 

 

Ⅲ. アルトマヨ地域での社会・コミュニティの強化
1年と4ヵ月の任期を残した時点での任地変更だったので残りの限られた任期を考慮すると、ⅠとⅡの活動はどちらも時間を要することが明白な活動であったため早い段階で具体的にどう動くのか決めていました。しかし、このⅢの項目は今も具体的な内容は同僚や関係者と相談しながら手探りで始めているところです。現在のところ、対象者は”アルトマヨの森内もしくは周辺の小中学生”、”林学を学ぶ・学ぼうとしている方”、そして”保護区内の女性自治組織に所属する女性”の3者がメインになると考えています。

フアン・べラスコ集落の中学校の環境教育授業のアシスタントをしていた際に、無茶ぶりで「日本の環境問題の話をして」ってお願いされて話したときの写真。

実際に”アルトマヨの森内もしくは周辺の小中学生”を対象とした活動は少しずつ動き始めており、帰国前の5月末に保護区内のフアン・べラスコ集落の中学校で少し日本の環境問題について話をし、先日には保護区緩衝地帯のナシエンテ・デル・リオ・ネグロ小学校の5・6年生計55名を対象に日本の川の事例をもとに川の大切さを伝える授業をしました。ゲームを交えながら、高度経済成長期に汚れていった川を視覚的に再現して彼らに川の大切さを自発的に学んでもらえるように授業は設計しました。授業終盤の振り返りで、この集落を流れるネグロ川を綺麗に保ってねとお願いし自分との約束を守れますか?と聞くと、子どもたちは大きな声で「はい!!」と返事してくれたので、きっと彼ら次世代によってここの川は保全されていくんだろうと思います。今回の授業が1人でも多くの子どもの心に響き、この先にも残るものであったならいいなと願います。アルトマヨの森保護区は、ペルーの国立自然保護区において”森林保護区”というカテゴリーに分類されています。ペルーで76か所ある国立自然保護区のうち森林保護区は6か所だけで、これら6か所の森林保護区は、すべて森林内の水源の保全を目的に制定されています。今回授業を行ったナシエンテ・デル・リオ・ネグロも保護区に水源をもつネグロ川の上流にある集落で、かなりニーズに刺さったのではと感じています。そして、この時の様子を配属先がFacebookに投稿したところ、他の保護区周辺の小学校の校長先生からも同様の授業をしてほしいという要望がありました。実際に今回の活動の意義を見出してくださる方が地域内にいるということは、今回の授業が十分に評価に足るものだったということではと自負しています。

「川を汚したのは誰?」というゲームを交えて、川の保全の大切さを学ぶ授業を実施した。

また、”林学を学ぶ・学ぼうとしている方”も1つアクティビティを実施することができました。配属先の事務所があり、また私が今住んでいるリオハの街から30分ほど車を走らせたところに位置する、サン・マルティン州の州都モヨバンバにはサン・マルティン国立大学の生態学部があります。ここでは環境工学の学位を取得することができますが、カリキュラム内では選択コースにおいて林学の授業を受けることができるそうです。Ⅰのフェノロジー調査のアドバイザーをしてくれている大学の先生からの依頼で、先日林学コースの最終学年(大学5年生)を対象に”日本の森林と森林科学”というテーマで1時間半ほどの講義をさせていただきました。ペルーの地方大学では海外の林学について学ぶことができる機会がないという背景のもとに、教授から依頼されました。モヨバンバは竹林が多い街で、日本の竹林や竹産業に関しても紹介してほしいとのことでした。以上のことを踏まえて、抗議の内容は「日本の森林の構成と林政」「日本の森林関連産業」「日本の竹林と竹産業」「木材解剖学(木材組織学)」「ペルーでのフェノロジー調査」の5つの内容で構成しました。特に日本の林政や森林関連産業については、学生から最も質問が挙がった分野で、ペルーとの違いを感じてもらえたという確かな感触がありました。

サン・マルティン国立大学での講義。「日本の森林と森林科学」というテーマで話した。

ペルーの森林においては、生態系保全地球温暖化対策、水源涵養に重きが置かれており、なるべく木を切ることなく森林を保全するという政策の色が強いように感じます。対して日本では林産物の生産や土砂災害の防止といった項目にも重点が置かれているため、木を”切る→使う→植える→育てる”のサイクルを重要視しているように思います。ペルーの森林では99%が天然林と言われているの対して、日本は慣習的な里山文化や戦後の拡大造林の影響で人工林や人の手が入った山が多いことも影響しているのかもしれません。いずれにしても、前提条件が異なるため、森林保全の施策も異なるという話をしたところ非常に興味深そうにメモを取っていました。また、付随して森林資源を利用した産業が盛んな日本では林学から派生して林産学という学問が生まれ、ペルーと比較すると林産学の分野で活発に研究や実用化が行われているように思います。私自身も森林科学専攻で修士課程を修了しておりますが、林学よりも林産学に近い分野の方が得意です。今回は日本の林産学ということで、従来の構造物や紙・パルプ以外での森林資源の利用について少し話しました。特にCLT(直行集成板)の高層ビルへの応用や、セルロースナノファイバーの研究事例、化学修飾による木の主要成分(セルロースやリグニン)の応用を取り上げました。また、樹木の特性とも深く関わりのある木材組織は、私の最も得意とする分野でもあるので、大学院時代の研究内容も少し交えながら紹介しました。木材組織は木材の物理的性質とも深く相関があると言われていますが、教授も交えたディスカッションでは、病害虫に対する材の防除においても関連があるかもしれないという意見が挙がり、さらに深堀した内容の話を聞きたいという声もありました。どうやらサン・マルティン大学では木材解剖学の授業はないそうです。講義終了後、教授とは他の学年での同様の講義や木材解剖学の講義の実施について相談をしました。自分の日本で得た知識を少しでも、ペルーの森林保全に関わろうとする学生に還元できたらいいなと思っています。

講義終了後、受講生と一緒に記念撮影。彼らの将来に少しでも役に立っていることを願う。

”保護区内の女性自治組織に所属する女性”に対する活動に関しては、まだまだ担当者と話し合いを重ねている段階です。一度自治組織の集会を見学させてもらいました。その会ではそれぞれの集落から集まった女性が、一緒に編み物で工芸品を作るトレーニングをしていました。話を聞くところによると、実際に販売する工芸品の材料は各々で購入し、組織が一度回収。回収された工芸品には製作者が分かるタグがつけられており、縁日やイベントなどで販売されるとその工芸品のタグで製作者を識別し、その製作者に対して売価から組織管理費(売価に応じて変わる)を差し引いた金額が販売されるというシステムだそうです(例えば40ソル=約1200円が売価の工芸品の場合、2ソル=約60円ほどが組織管理費として差し引かれ、38ソルがタグに記載された製作者に手渡される)。各々で、材料を調達・購入し且つ売れなければ収入を得られないため、簡単なマーケティングの素養があった方が良いと感じており、マーケティングや他役立ちそうなテーマでワークショップを実施したいと考えています。CIのパートナーNGOであるECOANが女性組織の運営には携わっているので、ECOANの担当者に相談し、まずは1つの集落をモデルにやってみようと話になっています。ワークショップは複数回に分けて実施し、お金の収支管理ができるようになるための「帳簿」、自治組織の組織力の強化と女性間での結びつきを強めるための「チームビルディング」、各々で考えて効率化・改善を行っていくための「カイゼン(前職の会社でいうところの観分判)」の3つのテーマで実施し、最終的に各々でSWAT分析ができるような「マーケティング」のワークショップを行うことで女性のエンパワメントをしたいね、と話しています。モデルの集落でうまくいけば、他集落にも広げたいと担当者は話していました。まだまだ、モデルの集落を選定するところからですが、少しずつこちらも進めていきたいところです。

この日の集会は、アルトマヨの森固有種のフクロウのぬいぐるみ作りのトレーニング。



 

 

Ⅳ. 日本とペルーをつなぐ取組み
協力隊事業の意義の一つとして”日本社会への還元”が挙げられると思います。先人の事例に目を向けると、帰国後に日本で社会貢献事業をしている方も多く頭が下がる思いです。私はというと、現在のところ帰国後も国際舞台で森林保全に関わりたいという想いが強く、もちろんそうなれば国際社会において日本のプレゼンスを高めるという観点では日本社会に還元しているとも言えなくもないですが、直接的とは思えないため活動している今の時間の余白を利用して、日本とペルーをつなぐような取り組みをしたいと考えました。特に12月の社会情勢の悪化でクスコを離れ、リマに避難してきた際には活動がオンラインになってしまいできることに制限があったため、居住地の自治体である豊川市の国際交流を担当する部署の方に申し出て、豊川市の2校の小学校においてオンラインで異文化交流授業をさせてもらいました。その縁もあって6月の日本帰国時にも、今度は対面式で豊川市立小中学校3校で異文化交流授業をさせていただき、ペルーという国や活動の紹介をさせていただきました。休暇前にアルトマヨの森の中にある小学校に行った際には先生に相談し、豊川の小学生あてにビデオメッセージを撮影させてもらい、交流授業で映像を使用しました。逆に豊川の小学生からもアルトマヨの森の子どもたちあてのビデオメッセージを取らせていただき、背伸びをしない程度の草の根の交流ができているのではと思っています。本当は日本とペルーの子どもたちが直接コミュニケーションを取れるといいのですが、コロナ禍もあってオンラインで話せる環境が整備されたとはいえ、アルトマヨの森内はインターネットが入らないエリアが多く、また14時間の時差もあってなかなか難しいのが実情です。なんとかならないものかと思う毎日です(案があれば募集します)。

地元紙の東日新聞の朝刊で記事にしていただいた。豊川市出身の菅原選手と同じくペルーの話題で横並びになっているのは、センスを感じる。

地元豊川で活動内容紹介 | 東日新聞

豊川市 JICA青年海外協力隊員による異文化交流会を開催しました

また、同じく一時帰国前の5月に私が今住んでいるリオハ郡の郡長さんに表敬訪問もさせていただきました。郡長さんだけでなく議員さんも出席されていた中で、みなさん日本との交流には興味を持ってくれており、以前から交流に関して相談させていただいていた豊川市の国際交流協会のみなさんとも話に上がっていたFacebookグループを利用した写真や動画などでの市民間の交流を行っていけないかという話をさせていただいたところ、ポジティブな返答をいただきました。ただ、リオハでの参加者の募集方法などでは工夫が必要で、またグループを立ち上げてもどのように運営していくかというところでまだ話をする必要がありそうです。

リオハ郡役所に表敬訪問。郡長と議会議員さんとお話させていただいた。



 

 



ようやくリオハでの生活にも慣れ、活動も本格化してきましたが、そろそろ任期も折り返しです。任地変更もあって、任期延長の打診もありましたが、今のところ任期を延長する気はありません。ここでやりたいことはたくさんあって延長したい気持ちもありますが、やりたいことを上げ始めるとキリがないですし、延長することで時間的な余裕ができて慢心してしまうのも嫌だなあと思いました。決められた期間内で、優先事項のみやり切るというスタイルの方が自分には合っている気がします。それに、自分の帰りを日本で待ってくれている人もいるし、帰国後のキャリアのことを考えても、延長することよりも元の予定の日程で帰る方が魅力的に映っています。ただ、早く日本に帰りたいというわけでもなく、私はペルーが大好きですしこの任期が終わった後も仕事やプライベートでまたペルーに来たいなと思っています。

アルトマヨの森での朝焼けの風景。

クスコにいたときは人間関係の構築がかなりうまいこといっていて、特にホストファミリーや友人とは家で一緒に巻きずしを作ったり、イベントごとに僕を誘ってくれて一緒に遊びにいったりと、プライベート面でも充実していました。6月の上旬には、ようやくクスコへの国内旅行の許可が下りて、クスコの同僚、友人、ホストファミリーに会いに行くことができました。みんな温かい抱擁と言葉で僕を迎えてくれて、非常に感動的でした。特にホストファミリーは、「ここはTakaのおうちで、私たちはTakaの家族だから、何も気にすることなく泊まっていきなさい」と言ってくれて、以前一緒に生活していたようにお家に泊めさせていただきました。一緒に食事をして、会えなかった半年間の話をして、かけがえのない時間を過ごしました。ホストファミリーの6歳の娘さんは、12月に自分が首都退避になってからずっと「Takaはいつ帰ってくるの?」と聞いていたそうで、3月に任地変更が決まった後は1か月間毎晩「Takaに帰ってきてほしい」と泣いていたそうです。久々に再開した時には走って飛びついてきました。クスコのホストファミリーは自分にとって第2の家族だと思っています。

半年ぶりにクスコに帰った際にみんなで家族写真。

今の任地リオハでは街の規模が小さく娯楽も少ないので、クスコにいたときに比べると外出する機会も減りましたが、同僚が遊びに誘ってくれることも多々あり、また事務所で働いている掃除のおばちゃんは”Takita(自分のことを親しみを込めて呼ぶときの呼び名)のリオハのママ”を自称していて、よく家に招いてくれます。本当にありがたい限りです。”リオハのママ”の家で一緒に夕食を食べていると「Takitaが来年日本に帰っちゃうのかと思うと今から寂しいし泣けそうだわ」と言われました。

リオハのママはよく自分を家に招待して、夕食を振舞ってくれる。

まだまだリオハでは、活動が本格化し始めたところで現状では何もできていません。ましてやクスコは初めてのスペイン語での生活に慣れることに精一杯で、結局いろんなものを見てこんな活動をしたいなと思っていたころに去らなくてはならなくなり、活動に関しては後悔でいっぱいです。もちろん自分の知識や経験ではできることに限界があり、何か大きなことを成し遂げられるとは来る前から思っていませんでしたが、それでもペルーの抱える社会問題に何かしら貢献したいと思ってここに来ました。しかし、助けられるのはいつも自分の方で、そんな温かくて優しいペルーの同僚・友人・家族には、活動に精一杯取り組むことで恩返ししたいと思う毎日です。

クスコに帰った際に前の配属先のマチュピチュ歴史保護区の事務所にも訪問。なぜか会議に出席させられる。最高に愉快な仲間。



 

 

今回はタイトルにサカナクションの”忘れられないの”の歌詞を引用させてもらいました。”過去”の思い出を大事に胸の奥にしまって、”未来”に進んでいこうとする心情を歌った曲だと思います。本来であれば未来への旅立ちを歌う曲なので、昨年のペルー着任時の方が適しているのかもしれませんが、改めて折り返し地点の今この曲を聞いた時に、自分の信条と照合して腑に落ちる部分があったので引用することにしました。

3日だけのクスコ滞在でしたが、大半を家族と過ごした。

 

前半部分の”新しい街の この淋しさ いつかは 思い出になるはずさ”という部分は今のリオハで4ヵ月だった今の心情そのものです。まだまだ知らないことも多く、また前任地のクスコや首都のリマと比べると非常に小さな街で、夜は特にひっそりしています。クスコやリマの友人たちと離れていて、正直まだリオハで友人と呼べる人はほとんどいません。でもリオハの街の人も同僚も、自分のことを気にかけてくれていて、また今の任地でしたいこともある程度定まった中で、これからのリオハでの1年間にワクワクもしています。

リオハのママの家族と、ペルーで研修中のJICA職員を招いて食事。

そして、サビの“夢みたいなこの日を 千年に一回ぐらいの日を 永遠にしたいこの日々を そう今も想っているよ”の部分に関しては、リオハで過ごす1年が楽しみとは言え、クスコでの日々を思うと寂しさがこみ上げ、いまさらながらクスコでの日々が本当に自分にとって大切だったんだなと振り返る毎日を表現するのに最適なフレーズだと思っています。正直なところクスコで活動を2年間続けたかったという思いもあり、まだまだ吹っ切れてるとは言えず今も若干後ろ髪をひかれる思いです。実際にクスコに住んでいた時は何の気なしに過ごしていましたが、自分にとって本当に充実していて、今思い返してみると宝物のような日々だったのだと思います。しかしきっと、このリオハで過ごす日々もクスコ同様、大切な”忘れられない”自分の思い出になっていくんだと思います。

アルトマヨの森、きっとクスコと同様に少しずつ自分にとって特別な場所になっていく。



"短いわりには中身のある話をしようか”

”短いわりには中身のある話をしようか
眠りにつく頃にはなんとか終わればいいが
一度話しただけで飲み込めるとは思えないし
理解に苦しんで眠れなくなるかもしれないけど
防具を外したら横になれよ”

 

ストレイテナーという私の好きなバンドの”SENSELESS STORY TELLER SONY"の歌詞の後半部です。

 

任地を横切るように流れるマヨ川。下流アマゾン川に交わる。任地のアルトマヨの森保護区はこの水源を保全するために国によって自然保護区に制定されたという背景がある。




私のペルーでの協力隊活動の前半部はクスコ、そして退避していたリマでの活動でした。
そして後ろ髪をひかれながらクスコを離れて任地変更となり、ペルーでの後半のストーリーを紡ぐためにサン・マルティン州リオハにやってきました。

 

Siquisapaという大き目の蟻を食べる文化がある。今はまだあまり市場に出回ってないが、9月が旬でこの時期はどこかしこで食べられるそう。



 

任地に赴任してまだ3週間。しかし、体感としてはもう2か月ほどはここで過ごしたように感じます。このジャングルの中の静かな町リオハとアルトマヨの森で本当に”短いわりには中身のある”時間を過ごしているように思います。

 

アルトマヨの森保護区内の雲霧林。雨が多く、霧がかかっている時間も長い。Diablo(悪魔)の伝承民話もある。



 

赴任して早速アルトマヨの森保護区内とその緩衝地帯のいろんな場所に連れて行ってもらっているのに加え、マチュピチュ歴史保護区とラス・レジェンダス公園植物園に引き続き3か所目の新天地ということもあって、新天地での振舞い方も何となく身に着け、効率的に必要な情報を収集できているように感じています。
まだまだ、訪れていない人や話の出来ていない関係者もいますが、今現時点で、自分の特性を加味して、ここですべきことについて備忘録も兼ねて綴っていこうと思います。

 

居住するリオハ市の郊外にある景勝地のTio Yacu。きれいな清んだ水が流れ、小さな滝も見れる。休日は地元民や観光客で賑わう。



 

まず、配属先に着任して一週目は主に車でアクセスできる集落に訪問しました。
基本的には、アグロフォレストリーの技術を基盤に森林内でコーヒーやドラゴンフルーツ、バニラなどの農産物生産を行っているそうです。また、保護区やその周辺の緩衝地帯では女性団体が組織され、主にボンボナへというパナマソウ科の植物の茎から工芸品を製作し、観光客向けに販売を行っているようです。

 

アグロフォレストリーの技術に基づいてアルトマヨの森保護区内で生産されている、コーヒー。朝夕気温が下がって一日の寒暖差ははっきりしているこの地域では質の高いコーヒー豆が収穫される。

女性のエンパワメントを目的とした保護区と緩衝地帯の女性が組織する団体が、販促しているボンボナへの茎で編んだ工芸品。






この地域ではペルー北部とブラジルをつなぐ幹線道路が完成した後に、その幹線道路沿いにあるカハマルカ州やアマソナス州の山岳地域の貧しい村の住民が移住し入植したケースが多く、当初は入植者による違法な森林伐採と農地拡大が行われていたそうです。その後、国立の自然保護区であるアルトマヨの森では生態系保全を目的として、地域住民と保全協定を結び、政府が技術提供や研修を住民に対して行うのに対して住民は環境に配慮した農業生産を行うようになっていきました。この組織された女性組織も、保全協定に基づいて運営されています。
しかし、かつで貧しい村で育った50歳以上の入植者の中には、初等教育を受ける機会もなかったため、文字の読み書きができない文盲の方が結構な割合でいらっしゃいます。
この事実に気づいたのは、Juan Velascoという集落で、保全協定の内容更新に関して住民から合意を得て調印してもらう式典の際でした。はじめ、この式典の出席を取る際にも配属先のスタッフが出席簿を持って住民一人一人のところに回って、名前や年齢、電話番号、国民IDナンバーなどを訪ねてスタッフが書き込んでいました。これまでクスコで見てきた光景では、出席簿への記入を目にした際は、出席簿だけが住民の元に手渡しされ住民間で回して自身で書き込みをしていたので、少し疑問に感じていました。疑問が確信に変わったのは調印式に進んだ際でした。住民が一人一人会場の前に来て、出席簿同様にスタッフが名前や国民IDナンバーなどを記入し、最後に住民が自身で書面にサインをします。そのサインを書くしぐさがどうもぎこちなく、そもそもサインであるのに筆記体ではなく楷書体で、楷書体のアルファベットを書くのにも苦戦しているようでした。調印式を終えたあと車でリオハに帰る際、上司にこのことについて確認したところ、やはり「貧しい村で育った一部の人は文字の読み書きを学ぶ機会もなく、特に女性はその傾向が顕著である」ということを教えてくれました。

 

Juan Velasco集落での調印式の様子。




まだまだ女性蔑視の風潮の根強い集落もあります。そんな中で、集落全体の生活が向上することももちろんですが、女性のエンパワメントに貢献することも必要とされていると感じました。
識字率が100パーセントに近くない国ではまだまだ文盲の方がいることは頭の中では理解していましたがこれまで接点がなかったため、恥ずかしながら、あまり深く考えたことはありませんでした。
これからの世代は、きちんと教育にアクセスが可能で男女間での格差が無い社会を実現できるように、自分も些末ながら貢献したいと思うのでした。

 

Juan Velasco集落に辿り着くためには、写真のような渡し船でマヨ川を渡らなければならない。




そして、この”教育へアクセス”など「人間の安全保障」の観点からも少しばかり言及を。
二週目は、主に車道のある村から離れた森の奥の集落をいくつかを回りました。
配属先と共同しているペルーのNGO団体が行う”農薬の使用”に関するワークショップに同行した形です。車を降りてから、ぬかるんだ山道をアップダウンしながら3時間ほど歩いてようやく1つ目の集落に到着しました。3日間で3つの集落を回り、トータルで36km山道を歩きました。また、2泊ともそれぞれの集落の住民のお家にホームステイさせていただき、より深いレベルでこのエリアのことを知ることができたように思います。

 

インターネット回線も電話回線もない村。自分と同世代でも携帯電話をもっていない人がたくさんいる。もちろんスライドをスクリーンに映すなんてこともできないから、ワークショップは模造紙を使って行う。



集落の家庭では、薪を使って火を起こして料理を行っている。植林する樹種を決めるにあたっては薪炭材利用も念頭に入れる必要がある。



集落でのホームステイの際の寝床。この黒いコーヒーを乾燥させるためのビニールシートの上に持参した簡易マットを敷いて、毛布一枚だけを羽織って寝た。




3つの集落すべてに関して感じたことは、車道に面した集落と比較すると、”教育・水・医療へのアクセス”がより不十分であるということです。

まず”教育へのアクセス”について、3つの集落のうち初等教育を受けられる小学校があるのは2つで、小学校が無い集落の子供はぬかるみや毒蛇などの危険の伴う道を子どもの小さな歩幅で1時間以上かけて通学しなければならないそうです。中等教育学校(日本の中学校・高校に当たり5年課程)がある集落は一つもありませんでした。中等教育を受けるためには、山道を1~2時間かけて歩いていくか、もしくは少し大きな村で下宿して学校に通うしかないそうです。いずれにしてもお金がかかる中等教育において、5年間コンスタントに学校に通えるかは、家庭の現金収入にも左右されてしまいます。

 

雨の多いこの地域では、粘土質の道の場合、雨季は常にぬかるんでいるため長靴で長時間歩かなければならなかった。

道中には毒蛇もいて、危険がいっぱい潜んでる。

 

次に“水へのアクセス”に関しては蛇口をひねって出てくる水はすべて茶色く濁っています。川の上流の水をろ過することもなく使用しているためで、この色は川の水の有機分によるものだそうです。ただ、一部エリアでは農薬が使用されており、この農薬が川に滲出し、体に悪影響を及ぼす可能性も危惧されているそうです。集落によっては売店が無いため、ほとんどの住民がこの濁った水を一度煮沸するだけで飲用水としています。自分もこの水を飲んで3日間過ごし幸い体調不良にはなりませんでしたが、短期的には問題なくても常にこの水を飲み続けている住民に将来的に健康被害が出る可能性は否定できないと同僚も言っていました。

 

蛇口をひねると出てくる茶色い水。住民はこの濁った水を毎日飲んでる。自分がこの集落に滞在した際も、この水を飲む以外で水分補給をする手段がなかった。



収穫したサトウキビを絞って、サトウキビジュースづくり。意外と重労働。



 

そして最後に”医療へのアクセス”について。集落には病院はおろか簡易診療所すらありません。もし体調不良になっても、足元のよくない山道を3時間以上歩いて車道のある村まで出てそこからさらに車で街へと向かわなければなりません。これは前任地のマチュピチュ歴史保護区内のクオリワイラチナ村でも感じていたことですが、命に関わる大けがや急病はもちろん、日本であればあまり深刻に捉えることもないようなけがや病気でも命のリスクを伴います。日本で生活していた際に、「外国では育てられもしないのに、子供ばっかりたくさん産んで」という多産に対して否定的な考えを持つ人と話す機会が多々ありました。確かに子供が多ければ、収入の少ない家庭では教育機会が制限されてしまうのは事実ですが、生活に困窮した村では子供も労働源であるため子供が多い方が農業生産量も向上します。そして、何より前述の通り”医療へのアクセス”の悪さのため乳幼児死亡率が高いためにリスクヘッジとして多産になる傾向があるのです。

 

車道の繋がる村に出るためには川を歩いて渡る必要もある。増水していたら非常に危険。




さて、「人間の安全保障」の側面でも気づきのあった今回の3つの集落でも、農業生産によって生計が立てられており、その中でも主な収入源となるのはコーヒー生産です。私の任地であるサン・マルティン州のリオハ郡とモヨバンバ郡はペルーの中でも、その気候のために品質の高いコーヒーの生産で有名な地域です。
保護区内と緩衝地帯では、前述の通り保全協定に調印している農家が多く、自然を守りながらの農業生産が行われています。

La esperanza集落でコーヒー農家さんの収穫のお手伝い。ちょうど雨季の今頃の季節から収穫が始まる。




では、このアルトマヨの森の中で、自分の経験や知識を加味して、求められている活動は何か。
現時点では、”有用な原生樹種の調査と探索”そして”コーヒー豆の高付加価値化・販路拡大”であると認識しています。

前者に関しては、配属先に森林の専門家(ペルーではIngeniero forestalと呼ばれる森林科学を学んだ大卒以上の人で、直訳すると森林技師)がおらず原生樹種の同定やフェノロジー(季節性)や育苗に関する情報が蓄積されていません。そのため、サン・マルティン大学の調査チームに同行し、また経験的な知識を持つ地域住民の話も要約しながら調査を進めていくことが目下、任務になりそうです。そして、それらの情報を基にアグロフォレストリー(特にコーヒー生産)に有用な庇陰樹や、薪炭材となる樹種、そして保護区内の鳥類や哺乳類の餌となる果物などつける樹種を探索し、将来的に”生物多様性”と”人間の生活”の両方に益をもたらす森を形成していくことが目指されます。

 

豊かな自然に囲まれたアルトマヨの森保護区。この森の生物多様性と人間の生活の調和を持続的に維持していけるような仕組みづくりのお手伝いがしたい。



 

そして、後者。この地域の典型的な成功事例でもあるコーヒー業において、アグロフォレストリーに基づいた農法で生産することは森林減少抑制につながります。そして、その農法に基づいて生産されたコーヒー豆の販売で収益を上げることは、コーヒー農家にとって森林減少抑制に貢献する経済的インセンティブとなります。この経済的インセンティブを高めるために高付加価値化・販路拡大のための取り組みを行うことで、農家の収入向上につなげたいと考えています。またこの収入の向上がゆくゆくはこの地域の「人間の安全保障」が担保されることにつながっていけばなと感じています。

 

ホームステイしたおうちの2階では雨季でも、収穫したコーヒー豆を効率よく乾燥させられるよう工夫がなされていた。


まだまだこれから具体的な施策を考えていく段階ではありますが、今自分が持つアイデアは大枠で2つ。1つはコーヒーに限らず、他の製品にも応用できるマーケティング手法に関する研修を、地域住民の農家や農業組合、そして女性組織団体を対象に行うことで、収入向上を目指すというもの。そして他方は、世界で3番目のコーヒー輸入を誇る日本のマーケットへの参入を試みるというものです。現在もヨーロッパやアメリカへの輸出は行われているのですが、日本への輸出に関しては以前商社が日本マーケットへの進出に向けて検討したそうですが、品質は問題ないものの生産量が限られておりマスでの取引が難しいため断念したという背景があるそうです。そこで考えられるのは個人経営の喫茶店やコーヒーショップとの取引、もしくは全国展開ではなく店舗数が限定的なローカルチェーンのスーパーマーケットとの取引です。

 

街のカフェでも飲める任地で生産されたコーヒー。ペルーの中でもコーヒーの産地として有名。

 

特に後者に着目しており、「店舗数が限定的であるからこそ生産量がそんなに多くなくても対応可能なこと」「安定した販売量が期待できること」「ペルー産のコーヒー豆はまだあまり市場に出回っておらず、まだまだ稀少性が高いこと」「日本では喫茶店よりも家庭でコーヒーを飲む機会のほうが多いこと」「コロナ禍以降過程でコーヒーメーカーを購入した家庭が増加し、家庭でコーヒーを淹れる文化が浸透しつつあること」から、十分に市場に参入できるチャンスはあると考えています。また、ペルーでの経済波及効果を高めるために焙煎工程もペルーで実施し、生豆ではなく焙煎豆で輸出できたらベストだと考えています。配属先の隣の敷地にはCoffee Quality Institute(コーヒー品質協会)から国際的な認証を受けたコーヒーカッピングの学校があり、優秀なコーヒーカッパーが養成されています。そのため、「優秀なコーヒーカッパーが生産地だけでなく焙煎所でも高水準でカッピングし、安定した品質が供給できる」「日本ではレギュラーコーヒー(焙煎豆)の消費が増えている」「まだまだ生豆の貿易には追い付かないものの焙煎豆の取引も増加傾向にあること」「ペルーと日本の両国がTPP加盟国であり、焙煎豆の貿易が無税で可能であること」から、レギュラーコーヒーを輸出する方法を模索できればと考えています。そしてなおかつ、そのレギュラーコーヒーを自社ブランド(プライベートブランド)化することが実現可能であれば、生産計画が立てやすくさらに生産効率があがるというメリットを享受できると考えています。まずはこうした取り組みに興味を持ってくれる企業を見つけるところからではありますが、日本市場参入に向けて積極的な取組をするために、事務所にいる日は統計データとにらめっこし資料を作成する毎日です。(もし周りで興味を持ってくれそうな企業等ございましたら、ご紹介いただけますと非常に助かります!)



配属先の事務所横に閉設されている、コーヒーカッパー養成校。CQIの国際的な認証も受けている。




 

 

新任地での毎日はどれも刺激的で、考えなければならないことも行動量も多く、また体調を壊さないか(すでに3回病院送りになってます。。。)という不安も伴う日々ですが、自分の強みでもある”熱意”を前面に押し出して、小さいことでも一つでも多くこの地域の社会課題解決のために真摯に取り組んでいきたいと思います。

 

ペルーのセルバ(森林地帯)でしか流通していないビールSan Juan。日本ののどごしの良いビールに似ていてとてもおいしい。日ごろからお酒を飲む習慣のない自分も休みの前日などは、自室で飲むことも。





 

 

”短いわりには中身のある話をしようか

眠りにつく頃にはなんとか終わればいいが
一度話しただけで飲み込めるとは思えないし
理解に苦しんで眠れなくなるかもしれないけど
防具を外したら横になれよ”



さて、”短いわりには中身をある話をしようか”という冒頭とは裏腹に長い文章になってしまいました。(中身は保証しません)
自分の任期を終えてゆっくりと”眠りにつく”ことができるようになる頃には自分の計画の一つでも多く遂行されていることを願います。
保護区内や干渉地域で見聞きした”現実”は”一度話しただけで飲み込めるとは思えないし
理解に苦しんで眠れなくなるかもしれないけど”、しっかりと自分の中で消化し、そしてその”現実”の改善に向けた努力を続けていく所存です。

この地域は数年前までは、山岳地域からの入植者ともともと住んでいた原住民で衝突のあった地域です。”防具を外して横になれよ”。どちらの住民も不利益を被ることなく、調和して一緒に社会を良くしていけるように。武装を解いて互いに腹割って話し合えるような関係性を築いていけるように。

 

自分はその調整役として少しばかりか貢献できればと思います。



 

 

配属先着任の際の写真。カウンターパートと。



 

 

マヨ川くだりも有名で、観光スポットもたくさんあります。ナスカや元々の任地マチュピチュが有名なペルーですが、ペルーに旅行される際はぜひ北部のサン・マルティン州も候補に入れてみてください!自然が大好きな方やおいしいコーヒーを飲みたい方にはおススメです!

 

"大丈夫ほら 七色の橋 涙を流しきると空にかかる"

新任地San Martín州Riojaの中心地、アルマス広場。



 


12月19日にクスコを去り、リマでの首都退避が始まってから3か月が経過しました。任地で活動できない中で、文字を書き起こす気にもなれず、ズルズルと3ヶ月間更新もないまま迎えてしまいました。

 

Cuscoを発つ少し前にホストファミリーやその友人、自分の友人も呼んで巻き寿司パーティ。



2022年12月19日Cuscoを去るときの機内から。この時は本当に悔しくて、機内で涙が出そうになった。

 

 

 

任地を離れてのこの3か月、思うように活動ができずフラストレーションをためる毎日が続きました。
初めの方はクリスマスや新年のイベントごともあって、休暇気分で過ごすことができていましたが、徐々に「残された任期が空費されている感覚」「自分が果たすべき責任を果たせていない感覚」に苛まれていました。

 

リマのAte区にある沖縄県人会の施設で新年会。エイサーや琉球民謡などを鑑賞した。日系人コミュニティが代々文化を継承してきたことに感動した。



日系ファミリーのお家のキッチンを借りて料理。私たちボランティアを家族のように迎えてくれる温かいファミリー。




本来、私は”林業・森林保全”の職種で派遣されているのに、森林のほとんどない首都で自分の専門性を活かした活動をすることは難しく、また任地から離れたリマでは、クスコで進めたいを考えていた活動を進めることもままなりませんでした。

 

日系ファミリーとJICAボランティアで。リマでの3か月、本当にここのお家によく顔を出してた。



 

初めは配属先であるSERNANP(el Servicio Nacional de Áreas Naturales Protegidas por el Estado)のリマ本部オフィスに顔を出していましたが、デスクワーク・事務作業がメインのオフィスで、スペイン語がまだまだ不十分なうえに、あくまで一時的な滞在でしかない私ができることは限りなく少なく、閉塞感を感じていました。

 

SERNANPが管轄するリマ市内の自然保護区Refugio de vida silvestre Pantanos de Villaの視察。



 

また並行して、出発自治体の愛知県豊川市や出身の兵庫県洲本市との交流事業も実施させていただきました。豊川市立中央図書館にて開催された企画展「友情は海を越えてー姉妹都市・友
好都市との交流ー」にてペルーでの活動の紹介や任地の写真と動画の展示をしていただき、また、豊川市立小坂井西小学校と千両小学校、そして洲本市立加茂小学校では学校の異文化理解の一環としてペルーの紹介をするオンライン交流をさせていただきました。

 

豊川市中央図書館で開催された企画展にて、活動やペルーでの日常の写真を掲載していただいた。市民の皆さんにペルーのことを知ってもらう良いきっかけになっていたらと願う。また派遣前に豊川市に寄贈していた図書の紹介も併せてしていただいた。



 

2023年2月6日の豊川市立小坂井西小学校とのオンライン交流。東愛知新聞と東日新聞の2紙に取り上げていただいた。



2023年2月15日豊川市立千両小学校とのオンライン交流会。



 

そんな中でも、フィールドに出て自分の専門性を活かせる場所で一時的であっても活動をしたいという想いから、自分自身で一時的な活動先を探し、2月中旬からはリマ市内のサン・ミゲル区にあるラス・レジェンダス公園(el Parque de Las Leyendas)内にある植物園にて活動を始めました。
テンポラルな活動となるため、ここでの事前のインプットはほぼ無しで、自分がすべきことを集中的に行っていました。
この植物園には、以前より日本の手法”宮脇方式”による植樹を行いたいというニーズがあり、自分自身も”宮脇方式"をペルーで実現し、広げることができればペルーでの迅速な生態系修復に貢献できるのでは、という想いもあったので、”宮脇方式”のペルーでの先行事例を植物園で実施するためのプロジェクトマネジメント業務に取り組みました。
植物園は研究機関としての側面もあるので、取り組みに対しては前のめりですが、ペルーで先行事例が無いことや、準備に時間とお金がかかってしまうこと、植栽樹種の選定と苗の確保が難しいこと等、課題は山積しています。
私は一時的にしかここにいないので、きっとこの植栽が実際に行われるタイミングでは、リマにいないと思います。しかし、自分がいる間に具体的な計画を立て、スモールスケールでも試験的に植栽を行えたらと思い、活動を進めました。

 

 

リマ市営ラス・レジェンダス公園内の植物園で一時的にボランティア活動をさせてもらった。自分で見つけて、自分でニーズを聞いて始めたボランティア活動だったので、良い経験になった。



植物園のメンバー。新任地に赴任した後もオンラインで定期的にミーティングをして、ペルーで初めての宮脇方式による植栽の実施に向けて取り組む。



植物園のアイドル、ミチェちゃん。いつも特等席で居眠り。




また任地としてクスコに戻れないということが2月初めに伝えられ、やはりクスコでやり残したことやクスコで自分を待ってくれていたホストファミリーや同僚たちのことを思うと、悔しい気持ちやら残念な気持ちやらで、なかなか前向きな気持ちになれず、困難な時間を過ごしました。
JICAからホストファミリーに住居引き上げの連絡を入れた際には、ホストファミリーの5歳の娘さんが”Quiero a Taka, le extraño(Takaのことが好き、会えなくて寂しい)"と言っていたそうです。言葉の違う異国の地で、私を本当の家族の一員のように受け入れてくれて、困っているときやつらいとき優しく声をかけてサポートしてくれたホストファミリーとのお別れが早く来てしまったことを悲しく思うとともに、この悲しみを共有できる相手がここペルーでもできたということは、私にとって一生の宝物になると思います。少し情勢が落ち着いてまたクスコに遊びに行けるようになったときに、笑顔で自信に満ちた表情で彼らに会うためにも、ペルーでできることに精一杯取り組んでいかなくてはならないと改めで強く決意しました。

 

ペルー派遣の同世代グループ。本当にたまたま、1992~1994の年代がそろった。



ペルー名物ロモサルタードの作り方料理教室。地方隊員が集まって、長い時間一緒に過ごすなんてこの首都退避が無ければあり得なかった。すごくしんどい首都退避だったけど、この出会いだけはこれからの宝になると思う。



リマを発つ前日にもお邪魔してました。この日は、クスコの配属先との最終報告会も実施された。まさか赴任8か月で最終報告会を開くことになるとは思わなかった。




今回の情勢悪化を受けた首都退避では、クスコから連絡をくれる同僚やホストファミリー、リマでできた友人、植物園の同僚、協力隊の仲間からの励ましがものすごく力になったように思います。
リマでは日系人の友人や他の協力隊員たちと、買い物や食事、スポーツをしに出掛け、つらい期間の中でも楽しいひと時を過ごさせてもらいました。
大きな日系人コミュニティのあるリマでは、日系人の集まりも多く、自分自身の遠いルーツでもある岐阜の県人会のソフトボールチームに参加させてもらうという貴重な経験もしました。
リマで自分がつらい時に支えてくれたみんなには感謝しかありません。

 

植物園の同僚と日系レストランに。彼らの私に対する理解のおかげで、期間限定の活動も円滑に行えたし、本当にいろんなサポートをしてもらった。こういう一人一人との出会いは、自分にとって財産になると思う。

 

日系人コミュニティの県人会対抗ソフトボール大会に、愛媛-岐阜-山形-宮城の一員として参加。自分のルーツが岐阜羽島にあった縁でチームに参加させてもらった。大抵2番セカンドで試合に出してもらった。買っても負けても優勝チームみたいに盛り上がれる大好きなチーム。来年の大会も参加したいな。




そして今ようやく、止まっていた時計の針がまた進み始めようとしています。
クスコには任地として戻れなくなってしまいましたが、先日3月17日にアマゾンの湿潤林地帯のSan Martín州のRiojaという街に居を移し、Alto Mayo保護林という自然保護区に配属される運びとなりました。ここでは、主に植林・育苗の技術協力と地域住民のアグロフォレストリーによる経済活動の支援を行っていく予定です。

 

2023年3月17日にリマを発ち、San Martín州へ。州の主要都市タラポトの空港を利用。タラポトから新任地リオハまでは140㎞、車で2時間半の距離。



新任地リオハ。静かな地方の都市。外国人のほとんどいないこの街で約1年半を過ごす。



 

残り1年4ヶ月の任期を残しての任地変更です。ようやく地方で活動ができることは嬉しいけど、やっぱりクスコが恋しいし、残された任期を思うと焦りもあります。でも、まだまだペルーでやり残したこと沢山あるし何よりこの国が好きだから、この国のために出来る限りの貢献をしたいと強く思っています。

 

"大丈夫だよ 見上げればもう

大丈夫ほら 七色の橋 涙を流しきると空にかかる"

 

Aqua Timezの「虹」という曲の一説です。

コロナ禍の2年半を経て、待ち望んだマチュピチュへ配属されたのが8ヶ月前。この8ヶ月かけて、慣れないスペイン語を駆使しながら人間関係を構築し、これからしたいことが明確になって来たタイミングでの任地変更。

悔しくないわけがありません。でもこの悔しい気持ち、絶対に忘れません。この悔しさ一滴も溢すことなく、新任地での活動に鋭意取り組んでいきたいと思います。

みんなは「頑張った」って言ってくれるけど、そんな過程よりも結果が欲しかった。思い出もすごく大事だけど、思い出作りのためにペルーに来たわけではありません。

今日はこの悔しさで裾を濡らしても、明日からはここリオハで一歩一歩着実に前に進んでいきます。


だから、さあ行こう。新任地での新しい毎日へ。
またね、クスコの親愛なる友人よ。

 

機内の窓から見えたSan Martín州のアマゾン湿潤林。これからここで、この森を守るための活動を行う。

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"ここがどこかになっていく"

私が好きな詩人、谷川俊太郎さんの作品に「ここ」という詩があります。

 

「ここ」

どっかに行こうと私が言う

どこ行こうとあなたが言う

ここもいいなと私が言う

ここでもいいねとあなたが言う

言ってるうちに日が暮れて

ここがどこかになっていく

(谷川俊太郎「ここ」より引用)

 

 

本来は恋人同士がダラダラと過ごしている時間こそが大事な時間だ、という解釈が正しいのかなと思います。

少なくとも私は日本に居た時そういう読み取り方をしていました。

しかし、ここペルーで約4ヶ月を過ごし、少しずつ感性に変化が訪れる中でこの詩の捉え方が少しずつ変わってきたと感じていたので、この感性の変化になぞらえて久々の投稿を綴っていきたいと思います。

 

ようやく訪れることのできたマチュピチュ遺跡。この場所がこれからもずっと世界遺産として、魅力のある場所であり続けるための礎を作る活動にしたい。



 

さて、投稿をしていなかったこの1ヶ月半ほどだけでも沢山の出来事がありました。

マチュピチュ遺跡とワイナピチュを訪れ、ホストファミリーに寿司を振る舞い、保護区の村の道路の竣工式に参加しクイを食べ、農業灌水省の方を講師に招いた農業ワークショップに参加し、温泉に行き、苗の世話をし。。。

 

リマから来た貿易観光促進庁の職員さんたちのアテンドで、マチュピチュ遺跡だけでなくワイナピチュにも登頂。ペルーの貿易や観光についてもいろんな話が聞ける良い機会だった。



道路の竣工式に招待され、お祝いとしてクイを食べた。味はおいしいんだけど、フォルムがなかなか慣れない。



 

色んな経験をしていく中で、11月初旬、JICAに第一号報告書を提出する時期となりました。

この報告書では赴任して3ヶ月のタイミングで、任地へ赴き自分の目でその村を見て、何が問題で、どう対処していくべきかを報告する書類です。

 

この書類を作成する中で、今一度自分が見たもの感じたことを整理し、今何を考えているのかを言語化できたので、今回の投稿は私の考えの変遷のマイルストーンにさせていただけたらと思います。

 

第一号報告書をかきおえたタイミングで、JICAのオリエンテーションスペイン語の試験のDELEのためにリマへ。ちょうど”日本文化週間”でイベントが開催されていたので、参加した。ペルーは日系人も多く、特にリマでは日本食レストランも多い。久々に日本食をたくさん食べることができて満足。



 

私が活動する村周辺では火の不始末や農業生産性を短期的に高めるための野焼きを原因とした森林火災が多発する地域であり、森林生態系の劣化も激しく、植林を通じた生態系の修復が必須ということで、私の仕事の要請はなされたという背景があるそうです。

 

実際この村に来て野焼きを目にし、森林火災を目にし、そしてよく周辺地域でも森林火災が発生したというニュースを耳にします。

私が為すべき仕事の一つであり、要請の主な内容でもあるのはやはり植林活動でしょう。

幼少期から国際協力に興味を持ち、海外でも活かせる武器を身につけたいと考えていた私は大学・大学院で森林科学という分野を専攻していました。

この分野をダイレクトに活かせる活動でもある植林は、失われていく森林を修復する唯一の手段であり、もちろん私もこの課題に真摯に取り組んでいくつもりです。自分が知る限りの知識をフルに動員し、この2年間で"宮脇方式"というメソッドを通じた植林活動を少しずつ行なっていきたいと考えています。文献を漁ってもペルーでの実例が無い上に、乾燥林での実施例もあまり多くないため、何度も壁にはぶつかるかと思います。しかし、心強いことに私の周りには経験と知識のあるカウンターパートやパークレンジャーがいます。話し合いをしながら、出来ることから着々と進め、生態系修復に貢献したいと考えています。

 

マチュピチュ歴史保護区は自然資源も豊かで、特に原生種のラン科植物が有名。保護区内に423種類ものラン科植物が自生しているといわれている。



 

一方で、失われていく森林に対して応急処置的に植林を行うだけでは「イタチごっこ」に終始してしまうとも考えています。

やはり、そもそも森林火災を発生させないシステムを構築していくことこそが大事と感じています。

その中ですべきことは、火の不始末や火元ともなり得る山中へのゴミのポイ捨ての改善と、野焼きをしている原因への対処でしょう。

 

 

まずは前者、やはり環境モラルの向上は必須です。

タイミングよく村にゴミの圧縮機が導入される予定で、圧縮されたゴミは業者が買い取ってくれるので、まずはペットボトルゴミの分別から始めて、現金を得ることから初めていきたいとおもいます。

また、お金にすることはできませんが、意識の向上のために、まだ価値観の形成途上の村の子どもたちに環境教育を行いたいと考えています。

自分は木材を学んできた身ですし、そもそも派遣分野も林業・森林保全です。なのでこの分野を軸に、日本の「木育」から着想を得てまずは村の学校で「図工」の授業ができたらいいなと考えています。現在学校のカリキュラムに「図工」は組み込まれていません。村の自然の風景を写生し、そして自然の材料を使って工作し、自然に触れる機会を増やすことで少しずつですが環境モラルを増成に貢献したいと考えています。

ただ原生種の木材は伐採禁止なので、木工においてはかつて人工的に植林されたユーカリを使うことを検討しています。「なぜユーカリは切って良くて、原生種はダメなのか」について一緒に考えることもまた、一つの環境教育となるでしょう。

 

農業灌水省の職員から、果樹の病害虫対策に関するレクチャーを受ける。果樹のことは全く知らないので、毎度自分にとっても勉強になる。



 

ウルバンバにて、イベントに参加。ブースに訪れた方々に配属先の活動を説明した。スペイン語で説明するのはやはり難しいが、少しずつ伝えたいことを話せるようになってきたことを実感した。



 

そして、後者。野焼きに関して。伝統的に行われてきている手法で、翌年の農作物の収量を上げるためにも有効だからこそ代々行われてきていたのだと思います。外から来た私がいきなり「野焼きはダメ、野焼き禁止」ということ自体に全く意味が無いのは自明で、そもそもなぜ野焼きが行われているのかを考えることから始める必要があると思います。

なぜか。やはり以前の投稿でも少し触れましたが、この村に産業が少ないことは大きな要因の一つでしょう。

観光客が多く訪れるマチュピチュ歴史保護区にありながら、メジャーな観光ルートからは外れ、現金収入は限られます。農業や牧畜も行われていますが、自給自足から殆ど足の出ない程度のものです。主な収入源は自治体や省庁が発注する事業における日雇い労働で、現金収入の安定性はありません。

自分たちの食糧を作るのはもちろんなこと、現金化できる作物の生産は彼らにとって重要で、その中で経済的な負担も少なく、手間もあまりかからない野焼きという手法が取られてきたのは頷けます。

また、日本の植林だと最終的には木材生産に直結し現金化することが可能ですが、私が活動する保護区での植林となると原生種の木が大きくなっても伐採することは禁止されており現金化することはできません。

彼らに山を守るために野焼きはやめて、一緒に森を守ろうと、自分の与えられた命題だけに注視して活動を進めようとしたところで、彼らにとってメリットはなく、むしろ彼らの生活を脅かすことにも繋がります。

その中で、私が考えることは森林保全と相性の良い「養蜂」を基盤とした村民の生計向上です。

なぜ「養蜂」か。

まずはこの村の気候です。一年を通して比較的気温が一定で蜜源となる花が一年を通して咲いているため、通年で収穫が可能です。作業も比較的シンプルで、日雇い労働と並行して行うことも可能そうです。そして、実際にこの村に数軒養蜂を行っている家庭もあり、そのうち一軒はある程度大量に生産し、経験と知識も持っています。既にいる養蜂家をモデルに、周りに水平展開していくことができそうと考えています。

また、森林保全との相性に関しては、蜂は植物の花粉を媒介するため、原生種の繁殖が期待できます。さらに果樹を生産している方もいるので、果樹の受粉にも貢献でき、彼らにとっても経済的メリットがありそうです。

そして私が最も注目している点は、山中で放畜行われているのですが、このエリアでは森林火災が発生していない点です。彼らの自身の産業を守るためにそのエリアでの火の扱いは慎重になります。仮に養蜂を推進すると、養蜂エリアにおいても同様に火の扱いが慎重となり、延いては森林火災の予防となることが期待できます。

以上の点から養蜂の推進を目指しているわけですが、課題もたくさんあります。そもそも私自身に養蜂の知識はありません。

 

初期投資は1蜂群と養蜂箱のセットで1万円ほどですが、数セットの購入のために現金をすぐに用意できる方は決して多くないでしょう。

コロナ禍以降、ペルーではハチミツが健康に、特にコロナ対策に良いと考えられ価格が高騰しています。現在の売価であれば最初の3ヶ月収穫で、初期投資分を賄えるだけでなく収益も生まれます。マイクロクレジットNGOからの助成金も考慮に入れつつ、どうやって揺籃期へと持っていくか工夫が必要となりそうです。

そして次に「どうやって高付加価値化して売るか」です。現状では一番生産量の多い養蜂家は自身でマチュピチュ村まで運び卸しているそうです。実際にマチュピチュ村に訪れてみると、お土産物屋では売られておらず、主に村の住民が買い物をする市場でのみ、スーパーと変わらない売価で、ラベルも貼られずに売られていました。

ペルー国内でも、マチュピチュ歴史保護区内で作られた蜂蜜が売られていることは殆ど無く、売り方次第では売価を上げて高付加価値化することも可能と考えています。

私は大学院卒業時に、国際協力をするためは関連住民がインセンティブを得るためにも現金化するスキームが必要になると考え、自分の専門とは少し離れて文系就職しました。その時は自分の選択に迷いもありましたが、奇しくもこうして、自分の経験を活かせる可能性を見出すことができ、あの時の自分の選択が間違っていなかったことを確信しました。

どこまでできるか未知数ですが、養蜂業の推進で少しでも村の人が、副次的に現金を得るためのお手伝いができたら良いなと考えています。

 

”Pro salud”という風習。病院に行くため、薬を買うためのお金が足らない時、その家族や友人がお肉を焼いて近所の人に売ることで、その収益を病院代、薬代にする。



 

なぜ私が、植林だけで無く、他のことにも取り組もうとするか。

要請書を読み込んだ際、与えられた職務は「劣化する森林生態系を修復するための植林」ではなく、「森林生態系の劣化への課題解決」だと捉えました。"手段"と"目的"は混同してはいけません。あくまで"目的"は「森林生態系の劣化への対処」であり、「植林」はそのうちの一つの"手段"でしかないと捉えています。

職種もあくまで形而的に与えられた枠組みでしかないと考えているので、垣根を越えてでも"目的"を遂行するための取り組みを行っていきたいと思っています。

 

そして、なぜ、その枠組みを越えた活動中でも「村民の生計向上」と「子どもへの教育」といった、人にフォーカスした活動を行おうとするのか。それはマチュピチュ歴史保護区で活動し始めた時に目にしたあるものが理由です。

 

私の活動する村クオリワイラチナは保護区の入り口から6キロ離れており、また車道が無いため保護区の入り口からでも徒歩か数時間に一本の電車でしか移動することができません。

一方で入り口の村ピスカクーチョは車で来ることも可能で、尚且つインカ道のトレッキング客の入場口も兼ねているので、人の往来もそこそこあります。

どちらの村もマチュピチュ村や州都のクスコにに比べると産業は限定的で、確かに物質的に豊かとは言えません。

どちらの村にも訪れる中で、あることに気づきました。ピスカクーチョの村の子どもたちは底のしっかりした靴を履いており、中にはアシックスやアディダスのロゴの入った靴を履いている子どももいます。一方でクオリワイラチナの村の子どもたちはOjota(オホタ)と呼ばれる廃タイヤなどのゴムを材料としたサンダルを履いている子どもも見受けられます。

 

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たった6キロしか離れていない村で、なぜ履いている物が違うのか。自分はそのギャップを少しでも埋める活動をしたい。その想いから、今の計画を立案しました。

もちろん、自給自足で生活している人も多いクオリワイラチナと、都市へのアクセスも比較的容易なピスカクーチョでは貨幣経済の在り方も異なっており、一概に現金の必要性を同等と考えることは正しいとは思いません。

しかしながら、こんなに近距離で違いがあることに歴然とし、自分はこの2年間彼らの出来る限りのことをしたいと強く思うようになりました。

 

ホストファミリーに巻き寿司を作って振舞った。山岳地のクスコで鮮魚を手に入れるのは難しいので、スモークサーモンなどを購入し工夫して作った。



 

冒頭の「ここ」の詩に話を戻しましょう。

詩における、"私"は私自身で、"あなた"はクオリワイラチナの村と村の人たちです。

この村がどう進んでいくのが良いのか、今"私"は"あなた"に問いかけている段階です。

2年という限られた期間で、なおかつ私の限られた能力で、自分の掲げる"目標"を達成できるということはないでしょう。少しずつ、自分のできる小さなことを積み重ねているうちに、日が暮れて帰国の日を迎えるのでしょう。

 

「ここ」が「どこか」になるとき。私はきっともっとこの村が好きになっているのだと思います。私はこの村を「どこか」に導ける手伝いをしたい。

その「どこか」はなるべく遠く高いところだといいなあ、と思います。

そして、日が暮れた後はきっと、誰か私の意志を継ぐ人がきっとこの村をさらに「どこか」もっと遠くに導いてくれるのだと思います。

 

自分がこの村で精一杯の活動をするのはもちろんのこと、どうかこの美しい村とその現状を日本の多くの方に伝えたい。



 

限られた期間しか関わることのできない自分、焦ることも悲しいことも悔しいことも、残りの期間たくさん経験すると思います。

辛いことがあっても、この村が好きだから、この村のためにできることだけでも頑張りたいなあ、そう思うのです。

"「反復・継続・丁寧」は心地ええんや"

クスコ市内から2時間半、車と電車を乗り継いで私の活動する村クオリワイラチナに辿り着くことができます。マチュピチュへ向かう電車の、ほとんど誰も降りない駅、88km-Qoriwayrachina。この駅を降りてすぐにある集落が、世界遺産マチュピチュ歴史保護区の東側に位置するクオリワイラチナです。

 

「のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それをのみ見つめて坂をのぼってゆくであろう」という司馬遼太郎の”坂の上の雲”の一説を思い出す情景。この村が勃興期を迎えることを占う空に見えた。



 

世界遺産でペルーの中でも比較的大きな街のクスコにあって、クオリワイラチナに無いものは物質的には沢山あります。レストラン、ホテル、車、スーパーマーケット。マチュピチュ歴史保護区内にありながら観光地な訳ではなく、物質的に豊かなわけでもない村ですが、それでも私を魅了する"都会では失われた魅力"があると感じています。

今週からはクスコにいる時間より、この村にいる時間が増えています。

これからこの村の人たちと沢山話し、一緒に考え、そしてかけがえのない時間を過ごすのでしょう。

今段階でも、苗畑とコントロールポスト(配属先が保護区を管理するための詰所)の往復だけではなく、巡回の際に村人から色んな話を聞き、また色んなワークショップに参加させてもらっています。

 

ポット苗での育苗で大事な作業”根切り”を行う。Pacay blanco(学名:Delostoma integrifolium)というノウセンカズラ科の植物。



養鶏のタジェール。幅広い分野で村のサポートを行っている。



 

私自身、まだまだこの村の知らないことの方が多い身ではありながら、徐々に村のことを知っていく中でこの2年間の活動は以下の3つに重点を置きたいと考えています。

 

 

①日本の造林技術を導入した迅速な生態系修復

②森林保全と親和性の高い産業を基盤とした生計向上

③“木育"の普及による未来の世代への環境啓発

 

 

 

まずは①日本の造林技術を導入した迅速な生態系修復、について。

森林火災が多発するこの地域において、急速な修復方法があるならばそれに越したことはありません。

そしてその中で今"宮脇メソッド"という造林方法に注目し、実現可能性を探っています。故宮脇昭博士が神社の周りの森“鎮守の森"から着想を得て、確立した方法です。複数の固有種を混植・密植することで、生存競争を促し、植生において多階層を迅速に形成する方法です。通常の成長の何倍もの速さで極相(植物群落の遷移における最終段階の平衡状態のこと)に達し、また二酸化炭素の吸収も生物多様性も従来の造林地よりも優れていると報告されています。

カウンターパート(活動における相棒)にもこの方式の紹介をし、実施するにあたってかなり積極的になってくれています。ただいくつか解消しなければならない問題もあります。まずは複数種類のポット苗の確保。日本での事例では20種類前後を植えていますが、山間部にある植栽地の近くにある苗畑にはそこまでたくさんの種類の苗は置いてありません。他の近くの苗畑から集めて来なければなりません。そして何より困難なのは、土壌の問題です。砂質ローム(砂とシルト、粘土が混ざっているが粒子は大きめで保水力は高くない)であるため、大量の腐植土が必要になりそうです。ただ大量の土をどうやって山の中腹まで持って行くのか。。。カウンターパートと頭を抱える毎日です。

 

マチュピチュの固有種のことを教えてもらいながら、苗の管理を行っている。



潅水作業。マチュピチュの山の中の苗畑での作業は絵になる。



 

そして②森林保全と親和性の高い産業を基盤とした生計向上、について。

この村は産業と呼べる産業が無く、そうなると農業の生産性を高めることや農地拡大を目的とした野焼きや焼畑のリスクが高まり森林火災が発生しやすい環境を創出してしまいます。森林火災による生態系劣化へのアプローチに対して、植林が改善策であるとすれば、生計向上は根本的な解決策の一つと言えます。

先週は近くの村の鱒の養殖家の方のところへ巡回に行きました。巡回は住民の求めているものを知る絶好の機会であるとともに、自然保護の観点からその産業が悪影響を及ぼさないかを評価するという作業でもあります。

鱒の養殖には、豊富な水源が必要であり、尚且つ水を循環させ続けなくてはいけないため、しっかりとした水槽と水路といった設備投資と、その管理が必要だそうです。また物流の観点からも大量の鱒を都市部に輸送するのは困難が予想されます。新しく設備投資をして事業を始めるにはリスクがかなり大きそうです。

そしてすでに小規模ながら、集落内で栽培しているアボガド。販路もある程度確立されているものの、ノウハウが蓄積されておらず、またアボガド栽培には大量に水が必要なことで、大々的な産業にまで至っていません。近くに川が流れているため水源は確保できるものの、灌漑設備がなく、また設備投資のためのお金も十分ではありません。ただ、設備投資の問題さえクリアされれば生計向上に大きく貢献しそうな産業と感じました。

Taraと呼ばれる木の豆の利用もカウンターパートから期待されています。まず莢にはタンニンと呼ばれる成分が含まれ、この成分はなめしとして、皮革に使用されます。さらに種からは黒い染料を精製することが可能で、さらにはのどの腫れに効く薬としても利用可能だそうです。1キロ当たり6ソル(200円ほど)で売れるそうですが、労働コストに対してどれくらいの収入を得ることができるのかを精査してみる必要があります。

他にも廃棄物処理業も気に留めています。直近でゴミの圧縮機を導入する予定があり、プラスチックゴミ、紙ゴミ、缶をそれぞれ分別し圧縮して換金することを考えています。クオリワイラチナは電車の停留駅で、保護区内の他の村に比べるとクスコへのアクセスにおいてはアドバンテージがあります。したがって、他の村からもゴミを集めることで、ある程度の量を確保でき、ある程度まとまったお金を稼ぐ方法となる可能性もあります。しかしこの村で、というよりペルー全体で家庭レベルでゴミの分別が習慣づいてるわけではありません。なので今、配属先のこの案件の担当者と一緒に、"日本のゴミの分別"を紹介し、実践できるようにするためのワークショップを企画しています。

個人的に今、最も実現可能性が高そうと感じているのは養蜂です。全くもって養蜂に関しては素人なので、勉強する段階からのスタートではありますが、調べる限り初期費用が高くないこと、既に50近くの蜂群を管理して養蜂を行なっている村の人がいるためある程度ノウハウの水平展開が期待できること、他の農産物等とは異なって腐ることがなく物流が比較的容易にできること、競合も決して多くなくマチュピチュ知名度を活かしてブランド化しやすいこと、ミツバチは植物の蜜を必要とするため森林とも深い関わりがあり森林保全と親和性が高いこと、加工性が高くある程度軌道に乗せることが出来ると加工品を販売してさらに収入向上に繋げられる可能性があること、などなどメリットが多いように感じます。ただまだまだ素人考えなので、実際に村の住民の養蜂設備を見学させてもらい話を聞いてくる予定です。また、下調べも入念にしておく必要があるので今は調査段階です。嬉しいことにカウンターパートからは、社会人時代に身に着けたマーケティングの知識を期待していると言われています。大学院卒業の時、迷いもあったけど自分の選んだ道に間違いはなかったと思いました。あとはどう活かすか。

 

鱒の養殖の水槽。母体、出荷個体、小さい個体、稚魚の4グループに分けて養殖。



アボカドの木の病害対策のワークショップ。参加者は多いが、メモを取って聞く人が一人もいないことが気になる。果たして聞いた内容を実践できるのだろうか。

 

 

Tara(学名:Caesalpinia spinosa)というマメ科ジャケツイバラ属の植物の種。




ゴミの圧縮機の設置予定個所の確認。この日は村の有力者と会議に参加し村の現状を聞いたうえで、日本のゴミ分別を紹介し実践できるようにするためのワークショップを開催したいと申し出た。



ハチミツの市場調査のためにクスコ市内のスーパーでストアコンパリゾンを行った。ここでかつて学んだチェーンストア理論を活かすことができた。



 

最後に③“木育"の普及による未来の世代への環境啓発、について。

木育は「木に触れる活動」「木で創る活動」「木を知る活動」の3つのステップで構成されます。まずは木で出来た製品、もしくは自然の中で五感を働かせて木に触れる活動。そして木を使って楽しみながら何かを作り改めて木の性質を体感する。最後に木材と森林の関係性について学び、森林を保全するための活動に積極的に参加する姿勢を養う。これらの3つの"木育"のステップを体系化し、将来にわたっても森林を自発的に保全できるまちづくりを行なっていけたらと考えています。大学院の時、「木に触れる活動」においては、大学院時代に実際に樹木観察や木材の顕微鏡観察のTAをしていたので、なんとなく頭の中でイメージできている活動はあるので、ここからスタートさせていきたいと思います。

 

クスコ市内で書道のワークショップを実施。今回の経験が村でのワークショップでも活かせると思う。日本の文化も積極的に紹介し、世界は広いことを伝えたい。



 

もちろんこの3つの軸に執着し続ける気はありませんし、自分の能力不足を毎日のように痛感する中でどこまでできるかも未知数です。

 

山の中腹にある苗畑に行ったときに、同僚とドイツ人の留学生と。



コントロールポストでの食事は当番制で作る。



 

自然あふれる村、クオリワイラチナ。

自分はまだここで何者でもありません。

村の方々と日々対話し、求めているものを正しく捉え、この村の一員に少しずつなっていけたらと思います。

タイトルの言葉は私の好きな漫画、ハイキューに登場する稲荷崎高校の北信介のセリフです。

日々の仕事、言語の勉強、村人達との会話、すべてを「反復・継続・丁寧」に行うこと。

結果よりも過程が大事。掲げた目標に対して正直どこまでできるか分からないし、周りの助けがなければきっと何も出来ません。自分の頑張ってる過程をきちんと見てもらい、自分の味方を増やし、そして自分もまた村人の1人になること。これこそが今私が1番目指すものです。

きっとその先に自分の達成したい未来があると信じて。

 

これを渡らないとたどり着けない苗畑もある。高所恐怖症かつ泳ぐのが苦手な私にはかなり厳しい道。



静かで自然豊かな村、クオリワイラチナ。この自然を守り育てながら、この村が発展していくことを祈る。少しでもそのサポートができたら嬉しい。